「本当にすみません・・・。噂だと思っていてもやっぱり怖いんです」
そう、俺の隣を歩いている夢華ちゃんが言う。光輔以外と話しているときは淑やかないい子だ。まぁつまるところネコを被ってる訳だ。
昼休み、俺のとこまで来た夢華ちゃんの用件は光輔と同じだった。光輔とは違って相談だったが、それを解決する術は結局その噂が眉唾物であるということを立証するか、その噂の根源を文字通り”絶つ”しかない。
「夢華ちゃんが困ってるんだもん。友達としては全然迷惑なんかじゃないよっ」
「それに、面白そう。」
そして、何故か付いて来るおまけ二人。
今はもう放課後、夢華ちゃんの委員会が終わるのを待ち、帰路に着いたところだった。噂みたいな実体のないものから守るといっても、変質者とかとは違うので具体的な防御策も無く、こうやって取りあえず家まで送り、家で光輔にバトンタッチすることぐらいしかできない。因みに光輔はどうしてもやらなきゃならないことがあるといって先に帰ってしまった。あいつが妹をほったらかしにしてまで何かに夢中になっているのはにわかに信じられないが、夢華ちゃんにそれを伝えると
「―――プチトマトか」
と軽く舌打ちをした。それにしてもプチトマト・・・?その表情に一瞬黒いものがあったのは俺の気のせいだと思いたい。
そこで、ふと夢華ちゃんがいつもと違う髪留め―――というかリボンなんだが、をしていることに気づいた。
「いつもは、もっと大人しい感じのをつけてなかった?」
「え?あぁ、リボンのことですか?」
一瞬何のことかわからにといった顔できょとんとしていたが、すぐに納得がいったのか髪を纏めているリボンに触れながら言う。
「これは、言い方はおかしいけど、多分形見なんです。」
「形見?」
「失踪しただけで、まだ死んだって決まった訳じゃないんですけど・・・あの子が大切にしてたリボンが、朝、通学路に落ちてて・・・それで、着けてれば魅帆も見つかるかも知れないかなって。」
そう、弱弱しく笑う。後ろで聴いてた望が―――何に感動したのか―――涙で大変なことになっている。
「友達思いのところに、胸を打たれた。」
と、特に胸を打たれてなさそうな奴が呟く。失礼だとは思うが、こいつが言うとなんか嘘に聞こえるなこの言葉。
「友達の捜索は警察にでも任せて、俺らはさっさと帰るか。」
俺の言葉に三人が頷く。噂が噂だ。何か起こる前に帰るに越したことは無い、ということで普段は工事中の札がかかっている近道を使用することにした。
「―――っ」
一歩、その道に踏み込むと視界の隅に、何かが映った。
それは女性と呼ぶには少し幼い少女の姿をしていた。肩のところで揃えられた漆黒の艶やかな髪が印象的な日本人形のような少女。うちの学校の制服を着ているその少女は、それだけならば特に気にならない日常の1コマ。すれ違ったというだけの他人。でも、その少女は、決定的に、日常とは異なっていた。
[ て]
その顔の半分は額から顎にかけてゴッソリと抉り取られ、赤い肉を晒していた。その体も両腕は神経を晒すほどに削げ、両足はあらぬ方向に曲がりながらもその体を支えていた。
[ ては ぃ]
声帯の半分が既に無いため声は聴こえなかった。それでも、その少女は既に半分になっている声帯を震わせ、何かを訴えかけている。
もし、聴こえていたとしても、俺の耳には届かなかったかもしれない。俺の目は完全に、その少女の髪に付けられた真紅のリボンに目を奪われていたのだから―――
「これ以上、前に進んじゃ駄目だ・・・。」
なんとか声を絞り出す。俺の異常に気づいたのか、それとも声が聴こえたのか三人の足が止まった。でも、それを気にする余裕がない。
意識してしまえばまるで洪水のようにその場所が、その場所にいる見えないはずのものが”視”えてしまう。
――― 母の封印が 決壊していく ―――
「そ・・・んな・・・」
――― この場所には なんと多くの 死が 渦巻いていることか ―――
数多の死が、数多の恐怖が、空間を、歪めた。
「あらあら、困った子ね。寄り道をしてはいけないと言ったのに。」
リン、と歩く度に鳴る髪留めに付いた鈴の音が心地よい。風情ある音というのは心を落ち着けてくれるものだ。
「よい機会になればいいのだけど・・・」
これは、またとない機会だった。それでも息子は可愛いものだ。できることなら、少しずつ慣れさせてあげたい。
「でも、そうは上手くいかないものね。」
袖の中から、御符を5枚取り出して、もう一方の手を眼の前に掲げた。
「呆れたものだわ・・・。この鹿島の地でコトを起こしておいて、この程度の結界なんて・・・」
ガラスの割れるような音と共に、目の前の空間が砕け、一本の道が現れる。それは”死界”へと続く道。人ならざるものが、最も力を発揮できる場所。そして―――
「今日のところは、手本を見せてあげることにしましょう。」
そう決めて、踏み出す。まだ夕飯のしたくも終わってないのだから、早めに終わらせることにしましょう。
「―――っ」
一瞬だった。視界が歪んでその一瞬に目の前にいた二人は消え去っていた。
「あれあれ?神主様がいないですよ」
そう言って隣にいる望がキョロキョロと辺りを見回す。それに合わせて私も辺りを見てみたがそこに司と後輩の姿はなくただ真っ直ぐな道が続いている。
「真っ直ぐに・・・?」
ふと、疑問に思った。ここは、そんなに、まっすぐな、道だっただろうか―――
「琴美先輩。後ろから誰かきますよー?」
「望。そんなことより、司たち探すのが先決。」
「はぁーい。でも見渡す限り人は後ろから歩いてきている人だけですよ」
やけに人が少ないねー、という望みの言葉が引っかかった。まだ夕方、日がでている時間帯だ。この時間なら遊び疲れて帰る子供たちや、帰宅するサラリーマンとかがいてしかるべき時間帯。それにもかかわらず、道を歩いている人がたった一人だけというのは明らかに不審ではないか―――
「嫌な予感が、する」
ポケットに入れてある護符に手を伸ばす。
「そですか?じゃあとりあえず、あの人に時間を訊いて見ましょうよぅ」
「待って、アレは、―――いや、今、この場にいるのは、話し掛けちゃ駄目」
私の言葉に人影に向かおうとしていた望が振り向いて、凍りついた。
「ぁ・・・嘘・・・」
何があったかなんて訊くことに意味は無い。恐らく―――私の想像通りなら―――ここはそういう空間なのだ
「望、駄目。ここにあるものに、訊いては駄目。」
「あ・・・く。」
それでも、望が限界だということはすぐにわかった。それほどの光景が自分の背後で展開されていると思うと嫌になる。
「望、声を出しては駄目。」
でもだからこそ、釘をさす。噂を考えれば、今ここで望に悲鳴を上げさせるわけには行かない。
「どうにか、しないと」
「ぅ・・・く・・・」
護符をポケットから取り出し、握り締める。噂などという具体性のないものが事実となり、その事実がこんな非現実を含んでいるのなら、超能力も何もない人間がこの状況を打破するのは無理に近い。
でもだからこそ考える。思考は感覚を鋭くし、あらゆる状況を打破しうる武器になる。人間にのみ存在する武装なのだから。
「でも・・・どうも、手詰まり」
しかし、状況を打破するには情報が少なすぎる。何より、私にこんな状況に対する知識がない。こんな非現実、誰が直面するなどと思うだろうか。
「一か八かは、好きじゃないんだけど」
護符を握ったまま、今にも泣きそうな望の目を隠し、軽く抱き寄せつつ体勢を一気に入れ替える。
「これは、また・・・」
そこにあったのはある意味許容範囲内の光景だった。片腕が千切れ落ち、足は両足共に膝から下がなく、体には何かに食われたようにゴッソリと穴があき、顔は、半分が皮を剥ぎ取られ、眼球を抉られている”司”の姿。不思議と血は流れておらず、ただその赤い、朱い血肉を晒し、まだ息があるのかそれが身じろぎする度に体の穴から人が生きるのに必要な器官が溢れてくる。
「っ・・・」
思考が飛びそうになり、恐怖を甘受しそうになる。それでも、それは予想の範疇だったこと。必死に恐怖を押し殺し少しずつ後ろに下がって、背中に、何かが、ぶつかった―――
「しまっ―――」
失念していた。後ろからもそれがきていたということに。
「楽しミましょウ?美琴ちゃン?」
親しげに、それは、私の耳元で、そう、呟いた。