人には見えないものが視える、ということは必ずしも幸せなことではなかった。中には悪意を持ち、自分を死に至らしめようとするものがいるからだ。しかし、視えることでそういった危機を回避できるのもまた事実だった。”彼ら”は常にこちらに対して警告をしているのだ。自分のようにはならないようにと、そして、それには近づかぬようにと。
一度だけ、警告を無視して悪意あるものに近づいたことがある。それが悪意ではなく悲しみだと思ったからだった。結果、自分は体に一生残るほどの大怪我を負った。それでも、自分に怪我を負わせた”彼女”はそれを後悔し、自分に言葉を遺し、満足したからそれでよかったと母に話した。
「そう。司は優しいわね。でも、その優しさは・・・怖いわ。」
そう言って母は幼い俺の両目を手で覆い、短い祝詞のようなものを唱えると、手を離した。
瞬間、世界は変わった。今まで視えていたものが見えなくなり、世界の半分ぐらいを満たしていたそれは消えていた。不思議がる俺に母は、おまじないだと、そう言って優しく笑った。
それが視える目を持って生まれてきた子供を守るための代々伝わる封印であることを知ったのは、つい最近なわけだが。
そして、最近になって思うこともある。”彼女”は幼い俺に、なんと遺していったのだろうか―――
「知ってっか?また一人、消えたらしいぞ。」
クラスに入って美琴と別れてから一番最初に聞いたのはそんな声だった。本人には失礼だと思うが学校に来ていきなりこいつの声を聞くのは少々気が滅入る。
「下級生の図書委員が、昨日の委員会の後から家に帰ってないんだと。」
その話題を持ってきたのはクラスの中で比較的目立たないように生きてきた俺とは対照的な、乱れた服装に短い茶髪、耳にはピアスといった典型的な不良生徒だった。正直、こいつとは何で親しくなったのかはわからない。が、他の連中といるときほど気を使わなくていいので、気が楽といえば楽だ。
「・・・また、か?」
疲れていたので無視してもよかったが、なんとなく習慣でそう聴き返していた。
「そ。また。これで何人目だったか。確かそろそろサッカーチームが作れるぐらいだな。」
そいつは肩をすくめてから俺の机の上に足を組んで座ると、図書委員だからサッカーは無理かな?なんて偏見丸出しなことを言っている。しかし、いつもの空回りするような軽さが見られない。
「らしくないな光輔。悩み事か?」
「ふん、さすがに親友には判るか。」
そう言って声を落とす。こいつはもとより声量が人より大きいため落ち込んでるときぐらいが一番聴きやすい。なにより、端から見たときに光輔が落ち込んでいてやっと普通の会話しているように見えるというのはある意味で凄いと思う。
「実はお前に相談があるんだ。いや、別にお前じゃなくてもいいんだが。」
組んでいた足を崩し、何故か机の上から降りてまで俺の横まで移動するとそう呟いた。
「ほう。別に親友でもないし、そこまで俺じゃなくてもいいなら、俺も聴く必要は無いよな?」
「待て、俺が悪かった!聴いてくれ。結構マジなんだ。」
そう言って拝むように顔の前で両手を合わせる。結構余裕はありそうだが、真剣なのは確からしい。
気づかれないように溜息をつく。正直こいつの頼み事は厄介じゃないものを探す方が難しい。それになんだか、嫌な予感もする。
「実は、その消えたって言う図書委員なんだが―――」
その話は朝のHRが始まっても終わることは無かった。
最近、この町にはおかしな噂が流れていた。
夜道を歩いているときに、後ろから来たモノに対して悲鳴をあげてはならない。夜道で後ろから来たモノに名前を訊いてはならない。何よりも、その存在に、あってはならない。
この噂はそれがそれぞれ矛盾する要素を持っているために俺は勝手に3つの噂なのではないかと考えている。もしかしたら最初はどれか1つだったのかもしれない。
その噂は、最初はいわゆる根も葉もない噂だった。しかし、困ったことにそれは実体を持ち始めた。
2週間前に、1人の学校の生徒が何の前触れも無く唐突に失踪した。最初は家出だと考えられていたが、2人目、3人目と続いていくとさすがに家出の時期が重なっただけといういいわけは通じなくなってきた。この二週間で既に11人目。事態は誰の予想にも反して悪化し、そしてそれに比例するように噂は拡大していく。
「それで、その11人目がとうとうお前の身内の知り合いだった訳だ。」
昼休みに屋上で、購買で買ってきたパンを食いながら朝の話を整理していた。
「そうなんだ・・・。夢華がその子が失踪する直前まで一緒に図書委員の仕事をしていてな。先に自分が帰らなかったらこんなことにはならなかったんじゃないかと朝から弱ってるんだ。」
夢華というのは光輔の一つ下の妹だ。確か望と同じクラスだった気がする。
「で、あれだ。お前は俺を探偵かなんかと勘違いしてないか?失踪した少女探しはできないぞ。」
手掛かりも何もない、という俺の言葉に光輔は勢いよく首を振った。
「違うんだ。いや、探せるなら探して欲しいのは山々だが。司に話してなかったか?その噂のもう一つの話。」
そう言って柄にも無く真面目な顔をする。元々噂話に対する興味が薄い俺の数少ない情報源は光輔だ。俺の知っている噂の情報の8割以上は光輔から聞いている。―――というより聴かされている。
「次に失踪するのは、前に失踪した奴が最後にあった友達だって言う話なんだ。」
考えていると俺に心当たりはないと思ったのか光輔から話してくれた。
そこで、朝こいつに話し掛けられたときから感じていた漠然とした嫌な予感が明確な形となる。
「あぁ―――それはつまり」
その噂が心配だから妹を守ってくれということか。
相手にも判るような嘆息をわざとする。”鹿島”というのはこの地域において”守護”の代名詞でもある。その一族は代々不吉を祓い、穢れを清めたとされるがそんな昔の話信じられても困る。
「そこのシスコン。いくら俺でも噂みたいに正体がわからなかったら手も足も出ないぞ・・・」
「なにぃっ!!頼んだ厄介事は全部解決してくれるというお手軽願望叶え機じゃないのかっ!?」
「え?素で言ってんのかそれ?」
「いや、悪かった。今のは調子に乗りすぎた。」
怖いから半眼で睨むな、と言われもう一度溜息をつく。
確かに鹿島が”守護”の代名詞だったのは昔の話。だが、その役目は廃れた訳ではない。形を変え、人の目につかないところでそれは確かに受け継がれてきている。今代は母親がそれを担当しているが、その役目から考えれば断れることでもないのだ。”常に目立たず、人の役に立つこと。それが私達の持って生まれた役目なのですよ”とは母の弁。
「はぁ・・・仕方ない。やれるだけはやるけどな。相手が実体を持たない限りは防ぎようが無いぞ。」
「それでこそ親友っ。愛してるぜっ」
「それは勘弁してくれマジで。」
最近よく自分で自分がどこかの慈善団体の一員なんじゃないのかと思う。それとも”鹿島”が慈善団体なのか。体に染み付いたこの生き方はなんだか損をしているように思える。
あぁ、今回もまた面倒なことになった、と空を見上げていると屋上の扉が―――それこそ壊れそうな勢いで―――ものすごい音を立てながら開いた。そこには漆黒の髪を真紅のリボンでポニーテールに纏めた、綺麗な、いや普段は綺麗なんだと思うが今は凄い形相をしている少女が立っていた。
「この、馬鹿兄貴っ!」
そしてものすごい声が屋上に響いた。
「また鹿島先輩に何か厄介事を頼んでるんじゃないでしょうねっ!」
「待て、落ち着け夢華っ。これはお前のためでもあ、ああぁぁぁぁっぁぁぁ」
そしてものすごい勢いで投げ飛ばされる(自称)親友。どうやら光輔の妹が殴りこみにきたらしい。
「待ってくれ、どうか話をっ。話を聴いてくれっ。ていうか何でここにいぃぃぃい゛い゛ぃぃぃぃぃ」
「問答無用っ!!」
今度は逆エビ固めか。どうもあの兄妹のスキンシップはいつも過激だ。いつも圧倒的に妹が主導権を握っているのが特徴だが、兄曰くそれも一つの愛の形なんだそうだ。本人がそれで満足しているため、いつも俺はこのやり取りをなるべく他人を装いながら優しく見守っている。
「私が連れてきた。司に用があるといってたから。」
「ん?そうか。まぁ暫くはかかるから先に戻っててもいいぞ」
あのやり取りが終わるのに、と付け足していつのまにか横に立っていた美琴に目を向ける。美琴は後学のためにここで見守るといって俺の隣に腰をおろしたが、正直あのやり取りから学べるのは簡単な関節技のかけ方ぐらいだ。
「鮮やかね」
となりでボソッと美琴が何かを言った気がするが気にしない。後学のためということは何かに使うのかもしれないし。・・・使うとしたら相手は俺なのだろうか?
「それはそれで問題だな・・・」
取りあえず眼前の兄妹のやり取りが放って置くと何時間でも続きそうなので声をかけることにした。