小さい頃から、人には見えないものが視え、人が知らない世界を識っていた。俗に幽霊とか妖怪とか呼ばれる存在。父や友達はその存在の話をする度に、ありえないけど、とか、冗談だよ、とか言うけど、どうしてそんなことを言うのかわからなかった。だって彼らは、そこに、いるのに―――
「視えないということは、それだけでとても怖いことなのよ?」
母に相談したとき、母は優しく俺の髪の毛を撫でながらそんなことを言った。
「私達の眼では視えるけど、普通の人には視えない。だから、あまりこのことを人に言って怖がらせちゃ駄目よ?」
綺麗に透き通る青みがかかった双眸が幼い俺を見据えていた。母の言葉は幼い俺には理解できなかった。それでも、母の瞳が訴えるように俺の瞳を覗き込んでいたので、このことは人には言わないと、母と約束した。
「そう、いい子ね」
そう言って幼い俺の頭をなでる時の母の笑顔が好きだった。そして、そんな母と同じ瞳を持って生まれてこれたことが幼いながらに誇りだった。
「―――っ。・・・あ・・・さ・・・」
ふと、目が覚めた。時計を見ると、いつもより数分早いが、今ならすっぱりと起きれそうなので起きることにした。いつもより早いぐらいの時間帯なので、制服に着替え、朝食をとり、諸々のことをこなし、歩いていっても十分間に合う時間には家を出れるはずだった。が、どうも最近はゆとりを持って学校に行けることがない
「待って、待ってよ神主様。まだ私、歯磨いてないってば」
「司。急いでもいいことなんて無い。遅れるぐらいがちょうどいい」
「俺は神主じゃないと何度言ったら・・・。お願いだから急いでくれ。」
この二人が家に来てから、俺―――鹿島 司の規則正しい生活は見事に粉々に打ち砕かれた。
鹿島の家はちょっと大きめの神社を管理していた。鹿島の家が管理している神社はそれなりに名のある神社なので祭の時期になれば大量に人が来てとんでもなく賑わう。最初の頃は、その大量の参拝客の相手は鹿島の家族だけじゃなくその血筋のものも一丸となってしていたらしい。しかし、最近の少子化やらなんやらで手伝ってくれる人が少なくなり最近は家族3人で切り盛りしていた。
親が高齢になってくると、それももう限界ということで、住み込みのアルバイトを雇うことになったのだ。住み込みはいくらなんでも無理だろという俺の意見に反して、応募してきた上に採用されたのがこの二人だった。俺のことを神主と呼ぶ学年が一つ下の少女”白鷺 望”、そして常に自分のペースを崩さない同級生の少女”弓削 美琴”。この二人はいつも常に早めに行動する俺とは対照的に常にゆったりのんびりと行動する。
「ふぁんふひふぁまー。まふぁひふぁふぁいふぇー」
望が歯ブラシを加え、黒い瞳に涙をためながらほのかに茶色い短い髪の毛を整えている。黙っていれば端整な顔立ちをしてお世辞抜きに可愛いと思うが、喋りだすと止まらないのが玉に瑕。そしてこのバイトへの志望動機は学校への距離が近くなるから。
「大丈夫、司と私、永劫待つ。」
「・・・そうだな。でもな美琴、俺としてはできれば待っている間に制服を着てきてくれると嬉しいぞ?」
美琴はこれから学校に行くというのに何故かバイト服―――要は巫女服だが―――に身を包み長い黒髪を後ろで1つに結っている。
「これが私の制服だ」
「あぁ、そうだな。確かにそれも制服だが、それはバイト用のだから頼むから学校にいく準備をしてくれ」
俺の言葉に吸い込まれそうなほど綺麗な漆黒の瞳を一瞬きょとんとさせ、
「あぁ」
と納得がいったのか、その不用意にでかい胸を張った
「安心しろ。中に着込んでいる。」
「・・・」
一瞬、言葉がでなかった。大抵のことには慣れたつもりだが、こいつはまだまだ奥が深い。
「お前は水泳の授業が待ちきれない小学生か・・・。」
ようやく声を絞り出してそんなことしかいえない自分に呆れるが、俺の言葉に美琴は満足したようだった。
「ちょっとからかっただけだ。脱いでくるから少し待ってろ」
そう言ってトントンと家の中に戻っていくのを見ていると、キリキリと胃が痛むのはきっと気のせいではないはずだ。一回人間ドッグとかいった方がいいのだろうか。きっと体中ストレスで穴だらけに違いない。
彼女はついこの間まではただの顔見知りに過ぎない同級生だった。住み込みのバイトで応募が来たときも正直何かの間違いかと思った。スタイルは抜群で、成績は優秀。それで顔もいい。端から見ている分には非の打ち所のない完璧人間だが、その実興味のないことにはとことん無頓着で何を考えているのか判りにくい。バイトの志望理由が巫女装束に興味があったということなのでますます人物像は掴みにくい。
因みに選考基準は母のフィーリングだ。応募がそう何通もあったとは思えないが、母は選考に苦心して・・・なかったな。
「・・・実は早い者勝ちなんじゃないのか・・・?」
「あら?私はちゃんと選んだわよ。面接だってしたんですだから。」
じゃないと人柄はわからないもの、と付け足しながら母親が玄関まででてきた。母は第六感というか、女の勘というかそういうものが鋭い人でその決断は結構信用できるが、今回ばかりはなんともいえない。
「うふふ。まぁ司ちゃんには分からないこともいろいろあるわよ。じゃあ、はい。今日はこれを持っていきなさい?」
そう言って俺の手に柄しかない短刀を握らす。
「―――ぇ?」
「今日は北方より嫌な風が吹きますよ。それほど大きなものでもないと思うのですが、なんとなく不吉な感じがするわ。用心してらっしゃい?」
声には出さず、頷く。ここ数年何回もされてきたやり取り。母が不吉を感じると俺に渡してきた刀。いわばこれはお守りだった。災厄を避け、不吉を滅する短刀。それをポケットにしまうと丁度二人が戻ってきた。
「あら。丁度いいわ。二人にも渡しておくわね?」
「はい?」
そう言って母は、望にお守りを、美琴には護符をそれぞれ渡す。
「今日はあまりよくない感じがするから二人ともそれをもっていてくださいね。」
「分かった。肌身離さず持ってる。」
「わわ。なんか高そうなお守り、なくさないように善処します。でも、護符のほうもなんかいいなぁ。」
二人して御符をいろんな角度から見て楽しんでいる。うん。多分楽しんでいる。いつも表情をあまり崩さない美琴も少し笑っているように見えるし。
「ほら、二人とも遅刻するぞ?」
「あぁ、待ってくださいよぅ。遅刻するときはみんな一緒ですよぅ」
「大丈夫。日数は足りてる。遅刻ぐらいへっちゃら」
「あらあら。でも、わざと遅刻したら一週間無給ですからね?」
その言葉を聴いて、二人とも走り出した。毎朝のことながら、いい加減学習しないのかとも思うがどうも母も含めてこのやり取りを楽しみにしている節があるのでどうしようもない。
「寄り道はなるべくしないのよ?」
いつもの母の言葉を受け、遅刻しそうな道を、もう既に走るのを止めている二人の背中を押しながら急ぐことにした。