―――― その1日前 オリエンテーション会場地下書庫 1500 ――――

「あいたたた・・・」

 随分と高いところから落ちたのに不思議と軽い打ち身しかない腰をさすりながら起き上がる。どうもこの屋敷に来てから日光は見てないわ、落とし穴に落ちるわで散々のような気がする。

「しかも、これを兄貴が見て笑ってると思うとなお腹立つな・・・」

 俺が落とし穴に落ちるたびに大爆笑をしている兄の姿が浮かぶ。それもリアルに。

「あー、駄目だ。切り替えないと・・・」

 この屋敷に来てからの理不尽なことに対するストレスが行き場を無くして兄に向かっているっぽいし・・・まぁそれはそれでいいのだが。

 頬を23回軽く叩いて周りを見渡す。薄暗いその部屋は大量の本棚と、既に本棚に収まりきっていないこれまた大量の本が散乱してる部屋だった。書庫というよりは物置という印象が強いが、ざっと見渡してみて出口がないのは何故なんだろうか。

「・・・」

 なんとなく、殆ど条件反射で上を向く。そこにはいま俺が落ちてきた落とし穴。今のところ確実な出口はそこしかない訳で・・・

「まさかなぁ」

 いままでのことを考えると否定できないのも嫌なところではあるが・・・。

 とりあえず何となく近くにある本を一冊手にとる。そのタイトルは『神凪秘密だいあり〜』

「・・・」

 そっと本を置く。気を取り直して別の本を手にとる。『轟編集マイリトルガール』

 本家に対する認識を改めた方がいいのかもしれない。本家というより本家当主に対しての認識か。というか、家の規模は違っても親ばかというものはあるんですね。

 もう一度視線を本棚に巡らし、ふと、ある本が目に付いた。

「・・・なん・・・だ?」

 手を伸ばし、その本を手にとる。一見その本はこの大量の蔵書の中でふと目に付くようなものではない。装丁も豪華なわけではなく、本の大きさも異常に大きかったり、小さかったりする訳でもない。色遣いが派手なわけでもない。本当に何処にでもあるような、ありふれた本。だというのに、いや、だからこそなのかも知れないがその本は酷く目を引いた。

「自伝・・・なのか」

 無意識にその本を読んでいた。それは、初代より続く本家の当主が書き綴ったメモ書きのような日記だった。細やかに日付などが記入されている訳ではなく、ただ、何代の当主かということとその名前。そしてその代に起こった大きな出来事について書いてあるようだった。

 ふと、その中の一節が眼に入った。どれも豪胆な、熊のような人が書いたのか太く荒々しい字で書いてあったのだが、それだけは丁寧な文字で書いてあっただけではなく、他の節とは違い、それだけ何故か色々書き足されたりしていた。

『第二子に異端の子が生まれる。両の目に破滅の光を宿した悪魔の子。その目の力は封じることはできても制御すること敵わず。一族にありながら一族に影を落とすこの子の名を紫苑<屍怨>とする。己の身すら滅ぼすその力、もし16になるまで生き延びたのなら、一族の保持と安全の確保のため一族を追放することと決める。されど紫苑は悪魔の子、鬼娘といわれようとも、愛しい愛しい我が娘。生かす手段はないものか・・・』

 その後には、いままでの豪胆な字と違って細く綺麗な字で続きが書かれている

『もし、あの子の目の力を何の呪も用いず制御することができたなら、誰もが安全で、誰もが安心な力の制御が可能なら―――。そんな夢みたいな方法があるのなら。どうか愛しい愛しい私の鬼娘、可愛い可愛い私の詩音どうか、誰よりも幸せに―――。』

 その後には、調停者とか守護者、封印師とか結界師などの職業かなんかの単語が大量にかかれ、調停者、という文字にだけ赤く丸がつけられていた。

――― 選ばれし者よ。歓迎しましょう。そして貴方に委ねましょう。愛しい愛しい我が娘。その運命を ―――

「っ―――え?」

 瞬間、本が光り、視界が一面の白に塗りつぶされ、一緒に意識も真っ白に染まっていった。

 

 

 

―――― その1日前 オリエンテーション会場モニタールーム 1800 ――――

「それでは、私はお嬢様の準備がありますのでそろそろ失礼しますわ。」

 ニッコリと笑って癒璃さんは腰掛けていた椅子から音も立てずに立ち上がった。

「俺はこのままここにいていいのかな?」

「ええ。ご準備ができて、そのときになったらお呼びいたしますわ。」

 静かに立ち去っていくメイドさんの背中を見送りつつ、気づかれないようにため息をつく。最初からわかっていたが、あまり芳しいことではなかった。さっき、かずがみていたあの一節。

調停者・・・か」

 できることなら、かずには普通に、普通の人として暮らして欲しい。そう言っていたのは母だったか。真祖の直系でありながらその血は薄く、退魔の一族の直系でありながら肉体的超常を宿さない、異端児であり最も奏磨が求めた普通に近い弟は、その身に最強のイレギュラーを抱えていた。気づかせたくはなかったし、気づかせるつもりもなかった。でも、これが運命というのならば、それもまた仕方のないことなのかもしない―――。

「仕方のないって言葉は嫌いなんだけどな・・・」

 誰もいない部屋に俺の呟きが吸い込まれて消えていった。

 

 

 

―――― ???前 自宅 夕刻 ――――

「そう、普通の子だと思っていたのだけれど・・・やっぱりあなたにも遺伝していたのね・・・」

 ある日、いつも通りおにいちゃんと家に帰ってから急に熱を出して倒れてしまった。おにいちゃんの話を聴いて急いで帰ってきたお母さんは僕の頭を撫でながら、そう、ゆっくりと呟いた。お母さんの声はいつもよりなんか暗いように感じたけど、いつも一緒に居れないお母さんがこうして頭を撫でてくれているというだけで嬉しかった。

「それで夕樹、あなたは大丈夫なの?」

「うん。不思議と何の痕も残ってないんだ」

 そういっておにいちゃんは服をまくっておなかをお母さん見せた。痕はあるはずがない。だって、おにいちゃんは帰り際に事故になんかあっていないのだから、ガラスや鉄の棒が刺さった痕あるはずがない

「そう・・・。癒したわけじゃないのね。巻戻したのかしら。いえ、そうだとしたら夕樹の記憶にも残らないものね。起こったことを、起こっていないとしてしまう力なのかもしれないわね。結果を打ち消し、別の結果とすりかえる力・・・」

 恐ろしい力ね、とお母さんは呟いて僕の額に手を乗せた。その手はひんやりとしていて気持ちよかった。

「んー」

 気持ちよすぎて、頭をお母さんの手に摺り寄せる。そうするとお母さんはあらあら、なんて笑ってゆっくりと撫でてくれた。

「覚醒してしまった力は消すことはできない。無理に押さえつけては和哉にも負担がかかってしまうものね・・・。」

 それでも、とお母さんは付け足した

「和哉には普通に生きて欲しい。私の力も、奏磨の力も殆ど受け継がなかった普通の子。この世にたった二つの私の宝物。あなたのために、このことは、お忘れなさい

 お母さんの手が優しく光って、なんだか急に眠くなってきた。とても暖かくて、なんだか幸せな気分

「ただ、あなたの力が人を傷つけたりしない優しい力で、本当に、よかった。」

 そう言って哀しそうに笑ったお母さんの顔はとても印象的だった。寂しそうで、でもどこか嬉しそうな、哀しい笑顔。だから、早く眠って、今日のことは全て忘れてしまおうと、そう思った。

 

 

 

―――― その3時間前 オリエンテーション会場応接室 ――――

「っつ―――あー」

慣れない場所を歩き回ったりして疲れが溜まっていたのか、目が覚めたときには周りが薄暗く、一瞬真夜中かとも思ったが日が差し込んでくる位置から見ると早朝のようだった。

「ひか・・・り?」

 そう考えてふと、自然の光を目蓋に受けるのはなんとなく久しぶりだなんて思った。この屋敷に来てから大半は地下室やら迷路やらにいたせいかもしれない。頭を振って、周りを見渡す。今まで歩いてきたような無機質な屋敷とは違い、花瓶には花が生けられ鮮やかな絵画も飾られている生活観溢れる部屋のようだ。

「確か本棚に囲まれていたと思ったんだが・・・」

 気絶している間にここに運ばれたのだろうか。光に包まれてからの記憶が全くない。昨日の休憩所といい今回といい何時間も全然知らない場所で寝ていられるなんて我が身ながら随分と図太い神経だ。

「お目覚めですか和哉様。今お嬢様がご準備中ですのでもう少々お待ちいただけますか」

 何時の間にか部屋の入り口には癒璃さんが笑顔で立っていた。いつの間に、ともおもったがこの人なら何でもやってのけそうなので聞いても無駄なような気がした。

「どうやってここまで・・・。あの部屋出口なかったと思ったんだけど」

「本棚に見せかけた出入り口が端っこのほうにありまして、そこからですわ。」

 回転扉になっているんですわ、と癒璃さんは笑う。それは本棚に見せかけた扉ではなく本棚が扉なんじゃないのか。

「それでは私にはまだ準備がありますので、どうぞゆっくりくつろいでいてください」

 そう言って癒璃さんが部屋から出て行くと入れ違いに何故かボロボロのスーツ姿の兄貴が入ってきた。

「傍観をしてた割にはボロボロじゃんか。」

「色々事情があるんだよ、俺もな。」

 そう言って肩をすくめると唯一ボロボロじゃなかったスーツの上着を入り口の近くにある棚の上においた。

「―――かず、連れてきておいてアレなんだが、今が最後のチャンスだ。日常に戻るかどうかの、な」

 一瞬、言っていることが理解できなかった。しかし兄貴の顔はいたって真面目だで、その瞳からは寒気すら感じる―――

「正直これは予想外だった。これ以上進めばお前はいつもの日常に戻ることが出来なくなる。力を自覚すれば力は加速してしまうんだ。そして加速した力は他の力を呼び込む。ここから先にあるのは、日常という名の異常だ。それでも、先に進むか?」

 いつものように冗談交じりの会話では無いということは簡単にわかった。力というのが何のことかわからないが、それが不吉を呼び込むというなら先に進むべきではない。人よりも人らしくあれ、それは奏磨が掲げてきた指標であり生涯の目標のようなものなのだ。自らの異常を封印し、他の異常にかかわらず、何も知らない無知な人たちと共に人並みの夢を見て、人並みに幸福に暮らせと。

「でも、きっと、ここで戻っても日常なんてないよ兄貴。」

 そう。触れてしまえば、知ってしまえば、人はその奥へと行こうとする。更に多くのものに触れ、更に多くのものを知ろうとする。人並みに生きろというのならば、これもきっと人並みの好奇心であり、ここまで来た自分に課せられた義務のようなものだ。

「折角参加したんだから、最後まで行かないときっと後悔するから」

 それにその異常は日常よりも面白いかもしれないだろ、という俺の言葉に兄貴はゆっくりとため息をついた。

「それもお前の選択だ。決めたのなら何も言わないさ。」

 そう言って俺の頭になにやら紙切れを貼り付けた。

「普通に渡してくれ・・・」

 取って見てみるとそれは全てのところにスタンプが押されたオリエンテーションの台紙だった。

 

 

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