―――― その当該時刻 胡蝶の牢獄 ――――

 かずの後に続いて入ったその部屋は四隅の柱と、それに巻かれている梵字の結界により出来上がった正に座敷牢だった。外界からの侵入を拒むものではなく内界からの浸出を拒むものだった。それは結界を敷かなければならないほど、この内の存在が危険であるということを示していた。

 視線を四隅の結界から部屋の中央に戻す。大きな部屋の中央には目に包帯を巻いた着物を着た少女が行儀よく座りこちらを、正確にはかずを見ていた。

「ほら行ってこい」

「あ・・・あぁ」

 かずは珍しく緊張しているようにみえる。が、まぁ仕方ないな。奏磨家は一軒家だがそこまで大きくないし、むしろ部屋数もギリギリしかないこじんまりとした家だ。その奏磨家のリビングとキッチンを足し合せてもこの部屋の広さには敵わない。更に言えば少女のごく僅かな生活品以外おかれていない殺風景さがこの部屋をより広く見せていて、それは他人を圧倒する風景でもあった。

 それは、まるで少女を中心に世界が滅びていくような、そんな光景。

「ぞっとしないな・・・」

 入り口の近くに立ち、かず達のやりとりをただ見ている。ここからだと声は聴こえるが何を喋っているかまではわからなかった。

 かずが少女の包帯を解き、少女は柔らかく笑う。

その時、なにかが、ミシリ、と悲鳴をあげた―――

「かずっ!!」

 咄嗟に叫ぶが、それは天井の崩落音に飲み込まれていく。

「はははっ、これで最後まで残ったのはおれだっ」

 狂気じみた笑い声が聞こえ、次の瞬間視界に映ったのは、天井と一緒に崩落してきたのか埃を被った少年と、血まみれで倒れるかずの姿だった。

「くっ、キサマ」

「駄目です夕樹様下がってっ!!」

「あ、あぁ、いやぁあああああああああああああああ」

 俺が駆け出そうとしたのを癒璃さんが静止するのとその少女の絶叫が響き渡ったのはほぼ同時だった。癒璃さんはメイド服のポケットから数枚の符を取り出すとそれを中空へと投げる。

「成れ、風雅結界!」

 符に風が集まっていく。凪が旋風へ、旋風は竜巻へと変貌していくその様はあたりの空気を根こそぎ集めているようだった。そしてその符は少女を取り囲むように集まっていき、

「あああぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ」

 灰色の風に、掻き消された。

「そんな・・・」

 倒れそうになる癒璃さん支える。風が集まり、少女を外界から隔絶することも思われたその結界は少女の周辺に集う灰色の風により文字通り掻き消されたのだ。

「もう・・・間に合わない・・・」

 少女はただ泣いている。かずを抱きしめながらまるで生まれたばかりの赤子のように泣き喚いている。ただ違うのはその瞳はしっかりと見開かれ、天上を崩してやってきた闖入者を睨みつけている。その姿は正に異様だった。瞳がまるで意思を持ち、闖入者を睨みつけているようなそんな感覚すら覚える。

 そして、その少女の周りに灰色の風は集まっていき、少しずつその半径を拡大させている。

「待て・・・冗談だろ・・・」

 そこでふと気づいた。否、気づいてしまった。灰色の風は、ただ風が灰を巻き上げ吹いているからそう見えるということに。ならば、その灰はどこから舞い上がっているというのか。

 

―――人が死ぬことも生きることも許されず、無限に苦しむ場所を地獄という

 

 見間違えるはずがない。それは少女の足元から舞い上がっている。風に吹かれ、空気中に霧散していっているというのに、際限なく灰は立ち上り続けている。その風に少女の着ている蝶の模様の着物がまるで羽ばたこうとしているかのようにはためいている。

 

―――ならば、人だけではなく一切の存在を許されないその世界はなんというのか

 

その見惚れるほどの光景を中心に、灰色の風が、世界を無に塗り替えていく。風が凪いだ場所には灰しか残らない。そしてその風が灰を巻き上げて、滅びを運ぶ死神のように踊り狂っている。

「これが、お嬢様の力滅びの胡蝶フォールバタフライ。本人の意志も何も関係なく展開され、世界が文字通り滅びるまで止まらない悪夢の力―――」

 指向性を持たず、誘導性を持たず、ただただ、波紋のように広がる力。その風に触れれば、有象無象の区別なく滅ぼし、屠り、灰へと還す。大気そのものが凶器であるため、近づき触れることすら出来ない、と癒璃さんはか細い声で言う。

「もう駄目です・・・。発動してしまったからには逃げることも出来ない。皆、何をされたのかも気づかずにただ灰になるしかない・・・。」

 殺風景だった部屋も、少女を中心に灰に変りまるで隕石が落ちたようなクレーターが出来ている。闖入者はただ呆然と、その光景を眺めていた。自分の腕が灰になっているのにも気づかず、その少女に見惚れていた。痛みを伴わない破滅。それは、最も優しく、最も残酷な力。あの闖入者は後数刻で完全な灰になるだろう。それも気づかずに、だ。

少女の瞳はもう、闖入者をみてはいなかった。天を仰ぎ、かずを抱きしめている。

 その絶望の最中、ふと、視界が歪んだ気がした。

「いやいや、諦めるのはまだ早いかもよ」

「え?」

 癒璃さんが、俺の言葉に反応してこっちを向くのと同時に地面から光が立ち上る。天を衝く程の光が、全ての空間を覆い、懐かしいその感覚に、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

―――― その2週間後 自宅 1734 ――――

「ただいま。」

「はい。おかえりなさいっ」

 いつも通り扉を開くと、そこにはいつからか日常になった少女の姿があった。ちょこんと玄関に正座して、俺を確認してニッコリと笑う。前のように華やかな着物ではないが単色の簡易の着物も少女を際立て、艶やかに見せていた。その瞳にはもう包帯は巻かれておらず、代わりに首には着物とは不釣合いな銀色の、翼に抱かれた少女を模したペンダントがかけられている。兄貴の話によるとあのペンダントには俺の能力の3割ぐらいが封じられてるらしい。いや、自覚がないので全くわからないのだが。

「今日は私、癒璃に買い物を習いました。」

 少女は楽しそうに、本当に嬉しそうに笑う。その笑顔を見ていると、まぁ自分の力が役立っているというなら嬉しく思える。

 あの日から2週間。実は自分には少女の部屋で気を失ってからの記憶がない。兄貴や癒璃さんに聴いても答えてくれないし、この少女も同様に気を失っていたのでわからないらしい。目を覚ましたら自分の部屋のベッドで、何故か少女と一緒に眠っていた。話によると俺が少女を抱きしめて離さなかったらしい、が実際俺は起きても少女に抱きしめられてて動けなかったため真相は逆なんじゃないかとも思う。

 真相はどうあれ、あのオリエンテーションの優勝者は俺であるらしく賞品であった少女は俺が結婚できる年齢―――具体的にはあと一年ほどだが―――になるまで花嫁修業を何故か奏磨家でしている。家事万能の完璧超人の元メイド、現家事手伝いの癒璃さんもその先生役としてなぜか奏磨家に在住している。俺は圧迫されるであろう家計を心配してバイトをはじめようかと思ったんだが、本家当主夫妻が一週間ほど前に来訪し、「娘が必要とする費用は全てこちらでもたせて貰う」と嬉しそうに言って帰っていったため、とりあえず働けるようになるまではその言葉に甘えるという話になった。

「そういえば夕飯の当番は俺だったな。なに食べたい?詩音」

 少女の名前を呼ぶ。とても優しい音で、その名前を口にするのは密かに好きだったりする。

「はい。和哉様が作られるものでしたらなんでも食べたいです。」

柔らかく微笑む。自分でも思うが、詩音の笑顔を見ると柄にもなく豪勢な夕飯を作ってしまう俺は結構まんざらじゃないんだと思う。運命という言葉も、あながち捨てたもんじゃないかもしれない。

「和哉様っ」

「ん?」

 呼ばれたので振り向くと、詩音が顔を真っ赤にして下を向いていた。

「な・・・風邪でも引いたか」

 熱を測ろうと詩音の額に手を伸ばし、がしっとその手をつかまれた。

「・・・お?」

 その次の瞬間には少女の顔は目の前にあり、視界の隅ににやりと笑った癒璃さんと兄貴の顔が見え、唇に、柔らかいものが重なる。

「〜〜〜〜〜〜っ」

「ちょ、詩音っ!!」

 詩音が湯気を出しそうなほど真っ赤になって、倒れる。自分からしておいてそれは卑怯だと思う。

「今夜が初夜ですわね。」

「そうな。防音処理は完璧だぞ弟よ。」

 恐らくそそのかしたのであろう二人を叩き倒したかったが、今は詩音が先決だった。抱き起こした詩音はとても嬉しそうな顔で眠っている。その嬉しそうな顔を見て、今度は自分からしてあげようと、ふと思った。

 

 

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