―――― ???前 ??? 夕刻 ――――

 一面が赤い景色だった。

サイレンが煩く鳴り響いている。このサイレンはパトカーのものか、それとも救急車のものか、と働かない頭でぼんやりと考えていた。

いつもの帰り道に、いつも通り泥だらけになって、向かいに来てくれらおにいちゃんと手をつないで帰っていたはずだった。

「・・・あれ?」

 じゃあ、そのおにいちゃんは何処に行ったのだろうと、隣を見る。さっきまで手を繋いでいたおにいちゃんはいなかった。

「おにいちゃん・・・?」

 隣にいないことはわかっていたはずだ。だって、お兄ちゃんはついさっき、大きな車に撥ねられて冗談のように自分の前に転がっているではないか―――

「おにいちゃん・・・?」

それしか言葉を知らないように、自分でも何を言っているのかもわからずに、ただ、なんとなく呼ぶ。おにいちゃんは答えず、ただ横たわっている。周りには赤い水溜りがどんどん広がっていく。よくみれば、おにいちゃんの体には鉄の棒とか、ガラスとか色々刺さっている。

「おにいちゃ・・・」

それは純粋な恐怖だったのかもしれない。もう二度と、おにいちゃんは起きないのかもしれないという恐怖。だから呼び続ける。何処にも行かないように。何処にも連れて行かれないように。

放浪癖の両親はよく家を空けていた。だから自分の家族はおにいちゃんだけだと本当に信じていた時期があった。それはつまり、この世界でおにいちゃんが一番大好きで、一番憧れていたといってもいいぐらいだった。

「だめ・・・だよ」

 それでも、やはり白い服を着た大人達はおにいちゃんを連れて行こうとする。連れていかれたらもう二度と戻ってこないと子供心に思う。だから、駄目だと、これは駄目だと。いつもみたいに二人で帰らないといけないと、そう思った。

 

――― 願いを叶えるだけの力を欲した

 

 でも、赤い水溜りに倒れてるおにいちゃんは起き上がる素振りを見せない。きっと、あのままだと立てないのだ。立てないから白い服の人たちがおにいちゃんを連れて行ってしまうのだ。

だから、と思う。そう。だから、おにいちゃんが立てて、ここがいつも通りなら、いつもみたいにこんなサイレンの音なんてしないで、賑やかな風景に戻ったら、いつも通りだと思った。

 

――― ならば、全てを元に戻してしまえと

 

 それは、日常の人間には僅かな害意にすらならない力。しかし、異常に住むもの達にとっては悪夢の力。

 瞬間、周りの空間が真っ白になった。

 

 

 

―――― その1日前 オリエンテーション会場地下迷宮休憩室 1000 ――――

「っ・・・あー」

 なんか懐かしい夢を見ていたような、でも見ていなかったような。まぁ、つまり覚えてない。

「おや、ちょっと遅いお目覚めだね。」

 目を覚ますと、すぐに部屋の掃除をしていた壮年の女性が声をかけてきた。昨日はよく見ていなかったが、このおばさんは声だけでなく人相も相当人がよさそうだ。

「朝ごはんはもう片付けてしまったよ・・・」

 しまった、という風に言う女性に、朝はあまり摂らないから、と笑い返す。

困った。どうやら、本当に体が落ち着いていて意識すらも他人に対する警戒を解いているようだ。

「まぁまぁ、お茶菓子ぐらいならすぐ出せるから、そこにお座りなさいな」

 そう言って休憩室とは廊下を隔てて隣接した机がちょこんと置いてあるこじんまりとした部屋に導かれる。机の上には小さな花瓶がおいてあり一輪赤い花が飾ってある。絵画の風景のような景色で、この空間自体がなにか人を落ち着かせる魔法がかかっているような不思議な雰囲気を持つ空間だった。

「ささ、忙しいとは思うけど、少しおばさんの戯言に付き合ってちょうだいな」

「え?・・・あぁ、ハイ。大丈夫ですよ」

 一瞬忙しいといわれて何のことかわからなかったが、そういえばオリエンテーションの途中、しかも速さを競うゲームの途中だということを思い出した。しかし、同時にあの馬鹿みたいな長さの階段を起きたばかりで上る気がしなかったのも確かだ。

「さて、貴方は何でこのオリエンテーションに参加したのかしら。」

「―――え?」

 てっきり世間話だと思っていたが、いきなり唐突なところを突かれた。

「おや、招待状が届いたから何となく来たって感じかねぇ?」

 とても来る気はなかったが当日の朝になって兄に無理矢理連れてこられたなんて言えない。

 そんな俺の表情を察してか、それとも沈黙が続くのが嫌いなだけなのか壮年の女性はそれじゃあ、と話題を変えた。

「貴方はどんな生涯をすごしたいのかしら?人にはそれぞれ望む未来図というのがあるでしょう?」

 学生の貴方にはまだ見えてないかしら、と壮年の女性は笑う。

「どんな風に過ごしたいか、の方がいいかしら。就職とか結婚とかは抜きでどんな風に生きたいか、どんな風になりたいか。貴方にはないかしら?」

「そうですね・・・」

 少し考える。考えてもみなかった将来。常日頃きっとなるようになるし、逆になるようにしかならないと思っている自分が思い描く未来というのは恐らくどんな風に答えても流動的で受身のものになるだろう。でもどんな風に過ごしたいかといえばそれは―――

「普通の、何処にでもいるような普通の大人になりたいですね」

「あら。夢が無いのね。お金持ちとか宇宙飛行士とか、そういうことをいうのは小学生の特権って訳じゃないのよ?」

 未来を見限っていると取られたのか、残念ねぇ、と女性はため息をつく。

「なんていうか、こう、まぁたしかに夢はないかもしれないんですが、普通に生きたいんです。そりゃ大きな幸せとかがあるなら欲しいし、大金を無償で貰えるなら貰いますけど。」

 上手く言葉にならないので、一度言葉を切って深呼吸をする。ゆっくりと頭の中で言葉を考えて、それを何度も反芻してから口を開く。

「そうですね。パイロットでも学校教師でも理容師でもシステムエンジニアでも何でもいいんです。それは無理せずになれるものになろうと思うし、逆に言えば、なれないものにはどんなに頑張ってもなれないと思うし。どんな職業になっても、そこでの普通というか、大事故に巻き込まれたり大量殺人に巻き込まれたり、それに退魔の仕事とかそういうイレギュラーなのがない、本当に普通の大人になって、愛する人ができたならその人と一緒に普通に生きて行けたら、それはとても幸せなことだと思うんです・・・が・・・駄目ですかね?」

「あら。」

 なんて女性は驚いたように俺を見ると、ふふっと笑った。

「そうね。それはとても・・・とっても素敵なことね」

 理想の死因は老死ね、なんて女性は本当に面白そうに笑っている。自分でいっといてなんだが、そんなに面白かっただろうか。

「そう。だから、貴方なのね・・・」

 一瞬、女性が優しい目をした気がした

「さ、よい頃合だしお昼ご飯を食べていきなさいな。軽くなら作ってあげますよ」

 そう言って女性が台所に消えてから10分位でなんか本当に昼食かと思うほどの豪勢な料理を台車に載せて女性はやってきた。とんでもない量を全部食べれる訳もなく、でも残すのももったいないので女性と他愛のない会話をしながらゆっくりと昼食を頂いた。

「非常に美味しかったです」

 んで、図々しくも終わったらしっかりレシピを教えてもらったりして。

「ほら、これを忘れたら元も子もないでしょう?」

 休憩室の扉を開けたとき女性がパタパタと走ってきて俺の手にスタンプ用紙を握らせた。そこには既に2つ目のところに半分だけのスタンプが押してある。

「ささ、次で終わりだからね。しっかりとやりな」

 ゆっくりと笑って手を振ってくれるその女性に、何となく手を振り返して、見るだけで気が滅入る長い階段を上ることにした。

 

 

 

―――― その1日前 オリエンテーション会場別館1F廊下 1336 ――――

「・・・無限回廊・・・?」

 階段を上って出てみると、そこはただ真っ直ぐなだけの廊下だった。歩いても歩いても果ては見えず、廊下であるのに何処にも扉が見当たらない。

―――カラカラカラ

それどころか窓もなく、暫く適当に歩いていたら上ってきたはずの階段すらも何処にあるかわからなくなった。

「視覚操作―――」

 魔術の知識に関しては母親から習っていたので基本的なものはわかっている。ただそれは、異常な場所に踏み込まないために習っていたもので、こんな異常を看破するためのものではなかったんだが。

―――カラカラカラ

 視覚操作の魔術は循環の開始点と終着点に同じ空間魔方陣を刻み込み、魔方陣で囲んだ空間をループさせるという特に害はないが引っかかると非常にめんどくさい魔術。

―――カラカラ・・・ヒュッ

「ぅぉー」

 急に、嫌な予感がして身をよじる。一瞬後にはその場所は短剣が通り過ぎていた。

「ほう・・・上手く避けたな。あの人形を倒してくるだけはある」

 なんて、声が背後からして、同時に蹴り飛ばされた。

 ロクに受身も取れず地面に無様に転がって、尚無様に相手を見上げる。そこにはスポーツ狩りの金髪に赤い目、派手な赤いスーツを着た、いかにもお金持ちのお坊ちゃまですっていう男が立っていた。スーツのベルトにはホルダーが下げられていて、そこには何本も短剣が収まっているのかところどころ派手に装飾された柄が見える。あとこれは偏見だが

「日光に弱そう」

「な、キサマ、馬鹿にするなっ」

 怒られた。

 とりあえず寝っころがってるのもあれだと思うので立ち上がることにした。不意打ちを仕掛けておきながら立つのをじっと見守ってくれる相手は愛すべき馬鹿だと思う。

「用件を単刀直入に言おう。キサマ、今回の件は諦めろ。キサマに本家の娘では釣り合いが取れん」

「・・・はぁ・・・」

 俺のような男が本家の娘には丁度いい、なんて大きく出てくれた。その際両腕を広げて何故か前をはだけるのを忘れない。

 第一印象で大分馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だと少し哀れに思えてくる。

「ここで大人しく諦めるなら命は助けてやる。だが、諦めないというならここでお前の人生は終わると思え。」

 ホルダーから一本短剣が抜かれる。

短剣を力の象徴として持つ一族でその豪奢な振る舞い。そんなのは数ある分家の中でも一つしかない。その高慢な態度と目的のために手段を選ばないという家訓を危ぶまれ本家筋―――本家に縁がある特別な分家―――であると名乗ることを禁止された一族剣菱。どうやら跡取りには恵まれていないらしい。

「本家の娘と結婚して、本家から支援を貰うのが目的か・・・」

「な・・・なぜわかった」

 わからいでか。

「ふ・・・目的を知られては生かしておくことはできない!残念だが・・・ここで死ねっ!!」

「なんでだっ」

 理不尽極まりない攻撃から横に飛んで逃げると狭い廊下の壁に背中をぶつけ―――ガコンっとかいうなんか不吉な音がした。

「―――ぉ?」

 後ろを向く、案の定そこにはなんもなくて

「ぉぉぉぉぉおぉぉぉおおおおおおおおおおおお!?」

 またなんか、落とし穴の底に消えていく自分の声が嫌にはっきりと耳に残った。

 

 

 

―――― その1日前 オリエンテーション会場モニタールーム 1345 ――――

「あら、剣菱の御子息には招待状を出したつもりは無かったのですけれど・・・いつの間にまぎれたんでしょう?」

 優雅に紅茶を飲みながらポツリと、癒璃さんがそんなことを呟いた。

「呑気なもんだな・・・いいのか?」

 一応招かれざる客なんだろう、と尋ねると、

「まぁ、しかるべき処置は後ほどとりますわ」

 と呑気にも見える発言をする。や、実際あれは放っておいても問題はないだろう・・・とは俺も思うが。

 剣菱の次期当主、剣菱庸介は剣菱の歴史の中でも他に類を見ないほどの高慢さを誇り、自分以外の人間は屑だとさえ思っている筋があると言われている。が、それと同時に剣菱の異能―――短剣を使い炎を自在に操る能力―――を全く継がず短剣の技術のみしか扱えない無能当主とも言われている。しかも無能さは能力を扱えないというところに留まらず、行動における思慮の足らなさや、状況を理解できない奇跡的なまでの空気の読めなさなど上げ出せばきりがないという。まぁ、剣菱きっての無能との話だ。

「それにあの方、残念ながら昨日からずっとあの通路で右往左往されてますわ。」

「・・・そか」

 視覚結界というのは人体に害が無いため魔法や魔術の防御術はおろか本能による防御機構ですらも発動しない。つまり、その仕組みを理解していない限り術者が解くか術に用いた魔方陣が朽ちるかしないと出ることができないというものなのだ。因みに解き方はそれを構成している魔方陣に触れればいいだけなんだが。

「・・・そうだな邪魔にはならなそうだな・・・」

 それをあの無能が知ってるとも思えないし、和哉が偶然触れて落とし穴に落ちたのを見ているのにもかかわらず、きっと理解していない。

「あら、罠があると思って壁際に寄らなくなりましたわ。」

 モニターを見ていた癒璃さんは口元を隠しながら上品に笑っている。目を向けるとモニターには警戒しているのか廊下のど真ん中に立ち挙動不審にあたりを見回している剣菱の次期当主が移っていた。

 ・・・ここまであれだと、なんか哀れになってくる。

「剣菱も当代までか・・・あ、ところでかずは何処に落ちたんだ?」

 また迷路か?と言う俺の問いに癒璃さんはゆっくりと笑うと

「地下書庫ですわ」

 と満面の笑みで答えてくれた。

 

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