―――― その2日前 オリエンテーション会場モニタールーム 1700 ――――

 案内された無数のモニターに囲まれた部屋で食事でも取るかのように俺とそのメイドは椅子に腰をおろし、情けない弟の姿を見ながら雑談をしていた。本当に実りの無い雑談。何度か質問をしてみたものの、核心に迫るのは避けているかのように話を上手く逸らされていた。

 多少話術には自信があったつもりだが、どうやらこのメイドさんは俺が普段相手をしている客とは一味も二味も違うらしい。

「さて、いい加減に答えてもらおうかなメイドさん。色々とね」

俺はポケットに突っ込んでいた一枚の手紙をメイドに掲げる。それは弟に向けて送られてきた手紙だった。文面上は俺のものと同じ構成でできている。

「私のことは癒璃とお呼びくださいませ。夕樹様。それに、その手紙に関しては既にご存知でしょう?」

 そうでなければ和哉様を無理矢理連れてきたりはしませんもの、なんて笑顔で返されてしまった。どうやら、この癒璃とかいうメイド俺よりも数段上手らしい。

「それに、この文面果たして後当主様はご存知なのかな?」

 そういって手紙を指で弾いた。空中で一回円を描いたそれは吸い込まれるように癒璃さんの手に載る。

「うふふ。ご想像におまかせいたしますわ?」

 口に手紙を持っていって口元を隠すと上品に笑う。その顔は悪戯女狐のそれだ。

それで、あぁ、と確信した。このオリエンテーションは本当に当主が開いたものなんだろうが、このチェックポイントを定めたのも、ルートを決めたのも全てこのしたたかな女狐だ。恐らく全てこの女性の、または今回の主役である本家の娘の思惑通りに進んでいるのだ。

「はぁ・・・まさかとは思っていたけど、正にその通りか。」

「あら、自分から連れていらっしゃったのに人聞きが悪いですわ。このことに関しては夕樹様も同罪ですわ。」

 俺の手をとり、再び俺の手の中にその手紙を乗せる。そしてそれをゆっくりと撫でた。

「本当に感謝していますわ。この仕掛けを見つけていただいたことも和哉様を連れてきて頂いたことも、ですわ。」

 手紙の文字を取り囲むようにぼんやりと魔方陣のような幾何学的な模様が浮かび上がり、一番下にうっすらと、貴方をお待ちしております、といった可愛らしい文字が浮かび上がる。魔方陣のほうには見覚えがある。小さい頃に母親から教えてもらった西洋の術法―――暗示召還の意味を持つ六角形。その手紙の受け取った対象者を呼び込むことができる初等術だ。

「俺のにはこんなものは無かった。これは俺の推論だが、あんたが呼びたかったのは恐らく数いる分家の子孫の中でもうちの和哉だけだ。」

 ふふ、と癒璃さんは笑うとゆっくりと眼鏡を外した。その瞳の奥には緑色の光が視える。

 その瞬間、疑問がストン、とどこかに落ちた。

「あの暗示はちょっとしたお試し感覚のものだったのですが、やってよかったですわ。結果、夕樹様に和哉様をお連れ頂くことができましたし、こうして貴方ともお話ができますし。」

 眩暈がした頭を抑える。厄介な能力を持っているもんだと嘆息した。どうあっても、今ここで真実を明かすつもりはないらしい。

「どうやら、このままだと言い包められそうだ。その目も厄介だしな。でも、何処にでもイレギュラーは存在するもんさ」

 そう言って、一つのモニターを指す

「あれは予想外だろ」

 そこには、この屋敷に忍び込まんとしている3つの人影を映していた。

 

 

 

―――― その2日前 オリエンテーション会場視聴覚室 1702 ――――

 扉を開けると、そこはなんていうかもう真っ暗だった。暗幕が引かれているのか窓からは光が差し込まず、電気も完全に消されている。正に足元にお気をつけくださいって感じだ。

「映画を見る時だってこんなに暗くしないだろうに・・・」

 つい文句が出る。ようやく何かが掴めると思ったんだが、これでは掴めてもそれがなんなのか理解できないではなかろうか。

「よーーーーーぅこそっ。君が最後のチャレンジャーだねっ!」

 いきなり壇上(らしきとこ)がライトアップされ一人のタキシードを着た男を照らし出していた。黒く短い髪をオールバックにし、釣り目がちな黒い瞳が印象的な男だ。だが、じっとしてれば格好いいであろうその顔は笑いを堪えるかのように歪んでいて、なんかピエロみたいだ。

「ここがチェックポイントとなる全長200Mの視聴覚室だ。ルールは簡単。君のところから私のところに歩いてきてスタンプをもらった後反対側のドアから出ればOKだ。しかし、途中落とし穴とかトラバサミとかそこら辺のなんか色々折れそうな罠も多彩に仕掛けてあるので要注意だっ!!」

暑苦しいが率直な印象だった。つまり、罠にかからずに相手のところに行けばいいのだろう。恐らくエコーのように聞こえていたあの声は落とし穴に落ちた人の声だと思う。そうとしか考えられないのだが、もし本当にそうなんだとしたら落とし穴ってどんだけ深いんだ。

じっとしていても仕方ないので一歩足を進める。

「ギャアアアアァァァアアアア」

 なんて声が聴こえて、一瞬足が竦んだ。一緒にガチン、バコンなんて音が聴こえたのはどういうことだろうか。

「あーコンボにかかったか」

「コンボってなんだっ!」

 しみじみという男に思わず怒鳴りつけてしまう。それほどこの暗闇は恐怖だ。目の前は何も見えず、足元に何があるかわからず、何が潜んでいるのかわからない暗闇。完全に視覚が断絶され鋭敏になった聴覚は不吉な叫び声とか罠の起動音とかを聴いている。正直正気を保つことさえ無理そうだ。

「くそ・・・なんだってんだ」

 そもそも婚約者を決めるだけなのになんでこんなに命がけなのか。探すとかいっておいて実は探す気なんてないというオチなのか。なんにせよ、あんまり喜ばしい状況ではない。

「うりゃ」

もう一歩足を進める。大丈夫なようで何も音はしない

「お?」

 勘だけを頼りに今度は斜めに足を進める。またしても大丈夫なのか別段何も起動した音などは聴こえない。

「おお。」

 今度は真っ直ぐに足を進めて

「あ・・・」

 ガチ、と何かを踏んだ音がし―――何も起こらなかった。

「あれ?」

「おー」

 壇上の男がなんかいった気がするが気にしない。意外にいけるんでは無いかという気分になってきた。

「次はこっちだ」

 また斜めに進み、罠が無かったようで何も起きないなんてことを30分近く繰り返して結局何も起こらぬまま壇上の男まで着いてしまった。

「・・・あれ?おかしいなぁ。普通なら足の一本や二本は軽いのに」

「何を仕掛けてんだっ」

 スタンプカードを丸めて頭をはたく。なんだ、これは婚約者決めを装った分家抹殺計画なのか。

「あぁ、そうかあんたが奏磨君か」

 スタンプカードを受け取ると、なるほど、なんて呟きながら一つ目のところにスタンプを押す。

「じゃあ、向こうの出口から出てくれたまえ。今のところここを通過したのは君を含めた10人だ。ぼやぼやしてると先を越されてしまうぞ?」

「わ・・・わかりましたから押さないでくださ・・・」

 押されて壇上から降りようとしたら、そこには地面の感触は無かった。

「いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!?」

 一直線に落下していく。その中で、ガンバレーだなんていう無責任な言葉だけが耳に残った。

 

 

 

―――― その2日前 オリエンテーション会場中庭 1813 ――――

 ポケットの中から煙草を取り出し、火をつける。あまり美味いとは思わないがどうも厄介ごとに挑む時はこれを咥えていないと落ち着かなかった。精神安定剤みたいなものだ。

「ゲームってのはな、邪魔が入らないのが一番面白いんだ」

 息を大きく吐いて、前を見据える。目の前には甲冑を着込み刃渡り2Mはありそうな長大な西洋剣を持ったいかにもなやつが立っている。

「なるほど。俺ははずれの方か。」

 上着を脱いで、近くの木にかけておく。仕事で使う大事な一張羅だ。汚される訳には行かない。

「ちゃっちゃと始めようか。戦い前の空気ってのはピリピリしててどうも好きじゃないんだ。」

 相手は答えず、ただ黙してその重そうな剣をだらしなくぶら下げている。必要ないことは語らないということか、それとも元々そういう風にできているか。どちらにしろ、あまりいい気分ではない。

「あぁ。礼儀として名ぐらい名乗らしてくれ、俺の名は奏磨夕樹ってんだ。あんたは?」

 甲冑はゆっくりと半歩退き長剣を担いだ。独特な構え、だがそれゆえに次の行動の予測ができない。

「名乗ってくれると思ってたわけじゃないけどさ」

 煙草を捨て、踵で火をもみ消す。瞬間、相手の姿がぶれた気がした。

「ふっ」

 勘だけを頼りに身体を沈め、相手の剣が通過したのを耳で確認して相手の懐に潜り込む。

 長剣というのはリーチの長さ故に有利に見られるが、逆に接近されれば最も扱いにくい武器の一つでもある。その重さと長さゆえにナイフのように小回りが利かず、自らの懐にいる相手を切りつけることもできない。

「奏磨流退魔術」

 元より、相手にどんな動作もさせる気は無かった。隣接した瞬間両手の掌を相手の甲冑に押し当て、踏み込みと同時に全身のばねをフルに使い相手を押し出す。ズン、という音と共に甲冑が10メートルほど吹き飛ばされ、無様に落下した。

「双地掌」

 対妖魔の前線を退いたとはいっても腐っても奏磨は退魔の家系であり、当たり前のように先祖代々受け継がれてきた体術は存在する。

元より奏磨の異常は身体能力や新陳代謝などの目に見えない所謂内側に現れることが多く、その戦闘は己の肉体に頼ることが多かった。それ故に奏磨は退魔の一族の中でも近接においては最強と呼ばれる。

それは少なくとも未だに前線に立つ本家及び分家には当たり前の情報として残っているはずだ。事実、俺の父親は未だに家計を支えるために偶に退魔の仕事を受けることもある。その奏磨の名を聞いて、なおかつ近距離で挑んできたのだ。恐らく相手は所縁のものではない。なにより―――

「てめぇ・・・人間じゃねぇな・・・」

 のそり、と立ち上がるそれは甲冑に穴が空きその背後の風景が文字通りえていた。空っぽの鎧が、再び立ち上がり、構えているのだ。

「一筋縄じゃ・・・いかないか。」

 思わずため息が出る。奏磨の体術を習っているとはいえ人外と戦うのは初めてだし、そもそもこの体術を実戦でつかうのが初めてだった。『人よりも人らしくあれ』という先祖の言葉に従いうちの家系ではやむをえない状況以外では力の行使を禁止されているためだ。

「―――本気で、行くぞ。」

 それでも、今はそんなことをいっている場合ではない。殺らなければ殺られる。なら、殺られるより先に―――殺る。

 今度は眼前で剣を大きく振りかぶった相手が、その剣を振り下ろすよりも早くその右腕を取る。そのまま相手の振り下ろそうとする力を利用して相手の右腕を捻り上げ相手を地面に踏み倒し―――

「ふっ」

 肩口を踏み抜き右腕を引き千切った。性格には中身が無いので甲冑を剥ぎ取った形か。その腕を後方に放り投げ、左腕の甲も踏み抜き粉々にしておく。

「終わりだ、」

 拳を握り締め、振り下ろそうとして

「ぁ・・・?」

ドン、と身体に衝撃が走った。

「く・・・ぁ」

 自分の胸からは腕と一緒に捨てたはずの剣が生えている。そこで思い当たった。妖魅でもなんでもなく、ただマネキンや死骸などの意志の無いものを自らの手足として使役する業があることを。

「そう、か、てめ・・・人形・・・か・・・」

 軽々と身体を持ち上げられ、壁に叩きつけられた。意識が朦朧とする。視界の隅で甲冑と宙に浮く右手がこっちにゆっくりと迫ってきていた。

 

 

 

―――― その2日前 オリエンテーション会場地下迷路 1828 ――――

「いつつ・・・」

 落ちた時に腰を打った。で、ついでに少し気を失っていたらしい。腰をさすりながら前を見るとstartと書かれた看板となにやら怪しげな入り口、そして説明が書いてあるらしい立て看板があった。

「なになに・・・」

 落下したことでもう否応無しに先に進むしかなくなったので取り敢えず看板を読むことにする。

「この先迷路。地上に出たい方はこちら。順路もこちら・・・・・・はぁ」

 なんか、凄いいい加減に殴り書きされていた。やる気がないのか、それともここまで誰も来ないと思っていたのか。どちらにせよ凄くやる気が無くなる書き方であることには違いない。

 それでも、地上に出るにはこの迷路を通るしかないというのが思いやられる。エレベーターとか無いのだろうか。

「・・・まぁ迷路は得意だしな。」

 事実、迷路は得意だった。迷わないと言うべきなのか勘が鋭いと言うべきなのか、とにかくこういう迷路とかいうものには迷ったことが無い。僅かな変化を見て危険かどうか察する力が強い、と兄貴は言っていたがそれは関係あるのだろうか。

――― ズル・・・ズル

「さっさと出て、・・・もう帰りたい・・・」

 瞬間、周りの空気が重くなったようにえた。周りの空気が少し暗くなり、息苦しくなる。本能が今すぐ逃げろと、警鐘を鳴らす。

――― ズル・・・ズル・・・ゴト

 迷路に入って最初の曲がり角に、それはいた。一見すれば普通の少女。長い黒髪に、大きくはっきりとした黒い瞳をし、ドレスを着た人形のような少女だった。でもそれは決定的に普通の少女とは異なる点がある。左腕は肘から下がなく、ドレスもところどころ破れ、その右腕には血だらけになった男の襟首を持って引き摺っていた。

 恐らくはこの迷路に先に入ったオリエンテーションに参加してる奴だろう。その顔は酷く腫れ上がっていて原型がどんなんであったのかもわからない。

「・・・冗談・・・だろ」

 その少女はこっちを見ると、無機質に微笑んだ。そして男を無造作に捨てると、急に視界から姿が消えた。

「―――っ!!」

 入り口に向かって大きく跳ぶ。すれ違い様にさっきオレが立っていたところの背後の壁に少女の拳が突き刺さっていた。

 本当に、冗談としか思えないような光景だった。見たところ自分と変らない年頃の少女がありえない速度で移動し、突き出してきた拳で迷路の壁を突き破っているのだ。

「少しは兄貴に・・・感謝だな」

 昔、兄貴に奏磨流の稽古に付き合わされていなければあの一撃は確実に俺に突き刺さっていた。まぁでも、一時の危機を脱しただけで完全に脱した訳ではないのだが。

「まいったな・・・次はなさそうだね」

 少女はゆっくりと微笑む。どこかぎこちない笑み。そんなことを気にする暇なんてなく、気づいた時には目の前には綺麗な黒髪があり、俺の腹には少女の拳がそっと当てられていた。

 

 

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