「これは生まれて何度目の厄介事かなっ、と」
荷物を持ったまま自分でも器用だな、と思う方法で階段を駆け上り、下りていく。相手の動きは鈍かった、が、いかんせんかなりの団体さんなので振り切るのが難しい。簡単に言ってしまえば先回りされるのだ。逃げ道を塞がれる、というわけではないが逃げる方向に必ずその団体さんの関係者らしき人がいる。団体さんの関係者といっても黒いスーツの人間を徹底的に避けているだけなのでひょっとしたら関係ない人もいるかもしれないが、直感が既にこの地域に”普通の”人間はいないと告げている。
「これは、また。」
徐々に包囲網は狭まっていたらしい。既に前と横には黒いスーツを着た人間が、ここは通さんといわんばかりに立っている。
「腹括るかね・・・」
スピードを緩めず、そのまま前にいる連中に右手で持っていた買い物袋を投げる。そしてそのまま買い物袋を追うように走りこんで、目の前の一人を蹴り倒し、その横にいた男には左手の買い物袋を思いっきりぶつけ、ぞぶり、という、嫌な音を、聴いた
「冗談じゃ・・・ねぇ・・・」
持つものがなくなって身軽になったら真っ直ぐに自宅に向かう。ここにいてはヤバイと、長年の厄介事で培われた経験が警鐘を鳴らしている。
「こ・・・のっ」
更に前にいた黒いスーツにスピードの乗った打撃を入れたところで確信した。この人間のように見えているものは人間の皮を被っているだけの全くの別物だと―――
そう、それの中には人として成り立つための重要なものがないのだ。それが、骨と、臓器。つまりこれは、何らかの術によってただ動いているだけの肉塊にしかすぎない。
「正直、驚いたな。人間がここまでできるものか、と。」
「―――っ!!」
その声は、自分の真横で聴こえた。だからこそ、渾身の力で蹴りかかった。しかしそれは虚しく空を切り、次の瞬間には突如目の前に現れた黒いマントを羽織った片目に傷がある男の突きが、俺の左肩を破壊していた。
「ギ・・・・が、ぁあァ」
正直信じられなかった。素手で相手の肉体を貫くことなんて常識では考えることができない。だが、とも思う。これほどの力があるなら、さっきから俺を追っていたような人の皮を被った肉塊を創ることができるのではないか、と。
「ほう。喚かなかったことに関しては褒めてやろう。だが、既にその命が尽きようとしているのはいただけん。」
正直、随分と無茶なことを言ってくれると思う。肩の傷は完全な貫通傷で、さっきから冗談のように血が失われていっている。昨日の今日だ、既に血は足りてなかったということを考えるとそろそろ限界かもしれない。
「質問には答えてもらうぞ」
そういった相手の瞳が、光った気がした。目が眩み、脳にまで響くような光。
「レミーシャという女を知っているな?どこにいる」
「いや、しら・・・ないね・・・。しって・・・いたとして、も・・・教え・・・ら、れない、ね」
やっぱあいつ絡みかと思いながらも口をついたのは別の言葉だった。かばうつもりも隠すつもりもなかった。どうも、俺は目の前のこいつに反発したいらしい。相手は相手で、俺のその言葉に驚いたようだった。まるで、絶対に聴くはずのない言葉を聴いたような顔をしている。
「貴様・・・何故”操作する瞳”の影響を受けん。我が魔眼その身に受ければ私の奴隷と化すはずだ。」
そう言って相手がもう一度こっちを睨みつけてきた瞬間、なんか見覚えの有る猫が相手の腕を喰いちぎり、俺はというと相手の腕が肩に刺さったままなんかの糸でそのままどこかに連れ去られていた。
「うわ、これは痛いわね。」
俺の状態を見たレミーシャの第一声はそれだった。元気があれば、はたいてやりたいところだがあいにくそんな元気なんてなかった。このままだと俺は黄泉の国まっしぐらだ。
「あぁ、いいわ。喋らなくて。これぐらいなら治療はできるからじっとしてなさい。」
「っ・・・、どうでも、いい、が。あれ、は・・・おま、えの・・・客、か?」
途切れ途切れの俺の質問に、喋るなといったでしょと俺の頭をはたいてから頷く。
「私を追ってきたんでしょ。わざわざこだわるほどの価値もないのに。ご苦労なことだと思わない?」
それほどあの変態は私にご執心なのよ、と心のそこからうざそうに呟く。
「はい。痛みは引いたでしょ。後は時間がくっつけてくれるわ」
「随分と適当だな・・・」
一応、礼を言うのは忘れない。
動かすときにまだ少し違和感があるが、そのことを言ったらまた時間が解決してくれるといわれた。おかげで死なない程度にはなったのでよしとしよう。
左手をならすためにグルグル回していると俺の膝元に猫が戻ってきた。どうやら相手を撒いてきたみたいだが、なんというか随分と凄い猫だと思う。
「で、これからどうするんだ?」
「もちろん、あいつらには全滅してもらうわ。そのための手段もいくつか手に入ったしね。」
にゃ、と膝の上の猫もご機嫌に鳴く。
気のせいかもしれないが、レミーシャは俺が買い物に出かける前よりも態度がでかくなったというか、更にアグレッシブになったというか、なんかあったのだろうか。
「いろいろと、仕掛けもその子にしてきてもらったし。反撃にでるわよ。結真はこれを持ってなさい」
ぽい、と気軽に投げられたのはよく刑事さんとかが持ってるような銃。
「ちょっと、道端歩いてた青っぽい衣装の人から徴収してきたわ」
「まてぇっっ!!心強いけどなんか違うぞ、それはっ」
細かいことを気にしないでよ、とレミーシャ。
あぁ、確実になんかあった。それは間違いない。
「さあ、こっからは私達のステージよ」
物質を操作する方法としていくつか例が挙げられるが古来よりあるものとして”傀儡”という方法が挙げられる。人形に糸をつけ操るという最も古典的なものにして、微細な操作が求められる高等なものでも有る。これにのっとり、人や動物、植物や無機物などに力で織り込んだ糸を巻きつけ操り、戦う術者のことを傀儡師、または人形師と呼ぶ。
「まぁ、それが私の戦闘スタイルってこと。」
「・・・は?」
私の言葉に完全に置いていかれた結真は何も言うことがないのか、言うことが思い浮かばないのかなんとも微妙な顔をしている。
「まぁ、要は傀儡をしている間は無防備になるから、そこで守っててってこと。」
「・・・人外相手に拳銃一丁か・・・。」
「何もないよりいいでしょ」
まだ何か納得いかないのかぶつぶつ言っているが、役割に納得してくれたらしい。なんだかんだ言いながら結構いい奴だと思う。
これが終わったら、ちゃんと御礼はしないといけない。倒れてたところを助けてくれたことにも、そして、結真のおかげで越えられない壁を越えられたことにも―――
「行くわよっ」
声と同時に空中にあの女性にもらった10個の金属球を放る。それらは緩やかな放物線を描き、地面に衝突する寸前で空中に停止した。”制糸球”と呼ばれる人形師がより効率的に、そして緻密に多数の人形を操作するために作り出した究極の一。両手、10本の指から伸びた糸はそれぞれの制糸球に繋がり、それぞれの球からはさらに30本の超微細な糸が伸びている。それがそれぞれの目標につながり多数の目標の捕縛、及び操作を可能としている。普通の傀儡と違う点は対象に1本の糸がくっついていればその対象を魔力によって操作することができるという点か。
「”人形の輪舞”」
その声を合図に、その空間は完全な戦場と化した。
街角で、自らの意思を持たない肉の塊が、熊の人形と抱き合っていた。いや、正確には肉の塊―――黒いスーツの人間であったものはその下半身が既にボロボロだった。何が起こったのか片足は千切れ、腹部にはまるで抉り取ったかのような跡がある。逆に、熊の人形は跳ね返ってきたのであろう血で赤黒くなっていること以外はいたって正常であるといえた。そう、その人形が独りでに歩いて刃物を巧みに操っているという点に目をつぶれば、である。
「小賢しい・・・マネをっ!」
黒いマントを羽織った男はその熊の人形を手の一振りで塵に還す。しかし、いかに彼が一振りで相手を滅ぼす力を持っていようと、相手を操作できる瞳を持っていようと、遠隔操作され、人形が壊れても本体にダメージが通らなければただの人間なのだ。
「形勢逆転だと、そういいたいのか、あの女はぁぁぁぁっ!!!!」
黒いスーツの人間は目標を捕まえることだけを命令されている。いや、考えるための器官がないため、複雑な命令を実行することができないのだ。それ故にダイレクトに命令が届き、レミーシャの手足となって活動する人形には敵わない。そう、ただそれだけの差が今の戦況の圧倒的な差だった。探知能力を持たないこの男は、手足となり動いていた傀儡を失うことで、この広い街で耳を塞ぎ、目をつぶっている状態と同じになったのだ。
「なら、片っ端から潰してやるぞ、虫けらどもがぁっ!」
しかし、耳をそぎ、目を潰したからとはいえどうしようもない個体の戦力差はどう足掻いても埋めようがない―――
「くっ・・・冗談でしょ。・・・糸を辿る気・・・?」
レミーシャの苦悶が響いた。この戦いが始まって数十分立つがはじめてのことだった。戦況は比較的有利なものだと考えられた。相手の手駒は全て壊し、こっちの手駒のみとなったのだから。しかし、チェックメイトをするには相手の王将とこっちの手駒で個体差がありすぎた。必然相手に壊された手駒は糸を張っている分こっちへと続く道標となる。
「来るわよ。」
その声に拳銃を構える。膝の上で寝ていた猫も起き上がり身構えた。
正直この人外パーティの中でおれは役に立つ気がしないんだが。ってか拳銃って効果があるのかどうか。
「虫けらどもがぁっ!」
相手の声が響くのと同時、大気が割れ、風が逃げ出した。立っているのさえも辛いほどの気迫。
「いい結真。狙うなら心臓じゃなくて頭。食人種ってのは心臓を止めても暫くは活動するわ。」
「・・・善処する」
呼吸を整え、構える。相手の出鼻をくじくために絶好のタイミングを狙う。
「今っ!」
レミーシャの声に合わせて引き金を引く。一発じゃ効果が期待できないために弾がなくなるまで相手の脳髄に打ち込む。そう、打ち込まれたはずだった。しかし弾丸は全て俺と男を繋ぐ直線上で停止していた。
「―――”支配者の魔眼”・・・。この土壇場で魔眼を進化させたというの・・・?」
「死ね虫けらがぁっ!」
「・・・はっ・・・」
相手の声を号令に、空中で静止していた弾丸が向きを変えて迫ってくる。
「結真っ!!」
元より人外の戦争に立ち入って普通の人間が勝てるわけがないのだ。
一発もぶれることなく、心臓に命中し、俺の意識は断絶した。