いつもの暗い世界で、いつも通り母は天を仰いでいた。
「昔にあげた はまだ持ってる?」
優しい声でそう訊いてくる。俺はうん、と頷いた。
「そう。それはいつ、使うの?」
その質問に俺は首をかしげた。
「今選ばないとダメなの。」
ひどく哀しそうな声で母は言う。それを選ばせたくはなかったとその表情が物語っている。きっと母はこんな選択をさせないで普通に生きて欲しかったんだと思う。でも、選択しなければならないときは来てしまった。だから、
「今、使うの?」
母の声に頷いた。今使わないと、駄目な気がした。
「どうしても、どうしても助けたいんだ。」
俺の声に母はゆっくりと頷いた。その気持ちがあれば大丈夫だと、そう俺の耳下でささやいた。
「いってらっしゃい。私の大事な大事な宝物。次に会うときは、全てが終わるとき。」
母は頷く俺を見て満足したのか俺に背中を見せて、歩き出す。
「あなたに世界の恩寵がありますように。」
そして、母の姿は完全に消えていた。それが、最後にもらったプレゼントだった。
「・・・っとに、厄介ごとに・・・好か、れるね・・・俺は」
倒れ掛かった自分の足を奮起させ相手に向かって地面を思いっきり蹴った。
「・・・なっ」
「え・・・?」
相手の驚愕の声が聴こえる。しかし、今はそんなことを気にしている余裕はない。別に時間制限があるとかそんなんじゃなく、血が失われすぎているために余裕がないだけなんだが。
相手の懐に入ったことを確認してその腹に拳を打ち込んだ。比較的軽い衝撃が相手に伝わったはずだった。
「貴様・・・なめているのか」
「まだ、上手く・・・制御、が、できな・・・くてね」
瞬間、大気が歪んだ。ドン、という鈍い音がして相手を数メートル吹き飛ばす。
「まだ・・・まだっ」
更にもう一度相手との距離を詰め、その顔面に向かって蹴りを放つ。特大の一撃でも、自慢の一撃でもないが、これで十分だった。後は大気が後押しをしてくれる。それが、母からもらった力―――”大地の恩寵”。極めれば物理法則すら崩壊させる究極の一。
ミシ、という音が響き相手の首はあらぬほうに曲がっていた。
「この・・・虫けらが、俺様の食料ごときがァ」
しかし、それを喰らってもなお、男は向かってくる。
「がァ・・・ァ」
未だにわめくそれの足をとめたのは猫だった。いや、正確には喰いちぎったか。本当にこの猫もどうなってるのか。
「残・・・念。これで、終わ、り・・・だよ。」
慣れない力に体がついていかない。が、ここでやめるわけにも行かない。途切れ途切れの意識を掻き集め、手を真上にかざした。
「”大気の怒り”!!」
薄れる意識の中、粉々になる相手を認め、今度こそ本当に俺の意識は断絶した。
目を覚ませば見慣れた家のベッドの上だった。見慣れた、といっても家はこんなに散らかってないはずだが―――
「あぁ・・・そうか」
やっぱり掃除できてないのか、となんか納得する。同時にそれは今までのことが夢ではないことをあらわしていた。
「それで・・・あいつは・・・」
部屋を見回して、耳を澄ませてみて、この家に今は自分以外何もいないということがわかった。
「帰ったのか・・・」
それはそうだと思う。元々あいつのいる場所はここではないのだから。ただ、家を散らかしたまんまにしていったのには文句が―――
「たっだいまー」
「―――は?」
元気な声が聴こえると、にゃ、と猫がまず俺の膝元に来た。そしてそれの後に続いてきたのは見覚えのある金髪頭だった。
「は・・・ぇ?」
「なに?どうしたのよそんな奇妙な顔して。」
面白そうに人の顔を指差して、ダイニングにある机の上に今買ってきたのか荷物を並べていく。それを見る限りどうも食材のようだが・・・
「お前・・・帰ったんじゃないのか・・・?」
「へ?」
俺の言葉にレミーシャは一瞬だけ何のことかと首をかしげ、そしてはっはーんと笑った。あの笑いかたはなんか嫌いだ。
「なになに?ひょっとして私が帰ったと思って黄昏てたのかな、結真君はー。」
「・・・てめぇ」
「冗談よ。ただ、革命の首謀者は死んだけど、もう私には帰る場所はないからね。暫く厄介になろうかなーって」
「は?」
帰る場所はあるだろう、といおうとして思い至った。こいつは一度敗走しているということは既に夜の国には居場所がないのだと。
用事があれば向こうから来るわよ、というのは彼女の弁。どうやら本当に、ここに住み着くつもりらしい。
「あー、勝手にしてくれ」
正直それは、嬉しいのかもしれない、と思う。なんだかんだいって一人暮らしは寂しいものだから。誰かがいてくれるというのは―――
「だ、か、ら。」
そういってレミーシャは俺に顔を近づけてきて
「な・・・」
「食事はよろしく。」
そう言って首筋に噛み付いてくれた。
「って待てっ!せめて他のところから調達しようとかそういう心意気を見せろっ!!」
どうやら、これからの人生は輪をかけて厄介事に付きまとわれるような、そんな予感がした。