目を覚ますと見知らぬ部屋だった。空間転移の魔術式にこんな場所の座標がセットされていることはない・・・と思うので、恐らく倒れていたところを誰かが担いできてくれたのだろう。

「親切なことね・・・」

 辺りをグルンと見回して、そこがどうやら誰かの寝室らしいことが分かった。飾り気のないベッドに本棚があるだけの部屋。すぐ近くの床に鞄が置いてあるからひょっとしたら寝室ではなく誰かの部屋なのかもしれない。何故か自分の隣にベッドがあるが、それはなんというか、まぁ、また落ちたのだろうとしか言えないところが恥ずかしい。

「それにしても・・・」

 腕に抱いている枕に頬擦りをする。随分と寝心地のいい枕だった。私の場合は抱き心地のいい、か。今度から寝るときはこれと同じタイプの枕を使おうと思う。もしくはこれ。いちいち買うのもめんどくさいからもらっていくとか―――

「ココまでくると・・・ある種才能だな」

 不意に思考が中断した。少し離れたところから男の声がした。恐らくはこの家の家主だろう。そんなことは状況から明らかだ。ただ、その声を聞いた途端不自然なほど動機が速くなった。意味がわからない、これではまるで私がこの声の主に―――

「とりあえず大学に行く準備をしないと」

 そいつが、そんなことを言ってちょうど見える位置に出てきた。黒い髪、黒い目、痩せているとも太っているともいえない体型の男。しっかりとした真面目そうな顔立ちだが、気苦労が多いのかなんとなく世界を達観したような顔をしている。わりと普通の人間だと思う。ここのところ外の世界には顔を出していなかったからあれが普通なのかどうかは分からないが、まぁ常軌を逸してはいないと思う。

「は・・・ぁ」

 その男は目を丸くしてこちらを見ていた。まだ起きるとは思っていなかったのか、それともただビックリしただけなのか。そんなことはどうでもよかった。彼を見ていると、無性に、喉が、渇く。

「あぁ―――なるほど」

 そういえば夢の中で誰かの血を飲んでいた気がする。それが、夢ではなく、無意識下で行った現実だとすればいろいろと説明はつく。

 つまるところ、身体が、回復するために、彼の血を欲しているのだ―――

 

「あぁ―――なるほど」

 少女が何かを納得したのか鋭い犬歯を剥き出しにしてにやりと笑った。ニコッではない。あれは絶対何かをたくらんでいる笑いだ。

「気がついたなら、適当に療養してさっさと帰ってくれな。」

 とりあえず、適当な言葉を吐いた。それ以外思い浮かばなかったという訳ではないが、自然に接して、とりあえず何もかもスルーして大学に行って、大学から帰ってきたら少女はもういない。そんなことを思い浮かべて(望んで)いたため、名前とかそういう情報を聞こうとは思わなかった。

それに、名前などを聞いてしまえば戻れなくなる、と理性が警鐘を鳴らしている。

「・・・?」

 何も言ってこない少女を不思議に思いながら部屋に入り鞄を取ろうとして、いきなりその腕をつかまれた。

「あなた、」

驚いて少女を見上げると、少女は何か勝ち誇ったような顔をして、偉そうに

「私に跪きなさい」

 なんてことを言ってくれた。

「―――は?」

理性だけではなく本能もこの少女とは関わるなという警鐘を鳴らしている。

あれだ、この少女は確実にやばい人だ。関わったら意味不明なとこに連れて行かれて変な実験体にされるに違いない。きっとそうだ。てかそう決めた。だというのに、あまりにも不意打ちだったのでつい声が出てしまった。

少女は少女で、疑問符を浮かべる俺に何故か不機嫌そうだ。

「え・・・と?」

 その空気があまりにも異様で、ついつい台所で餌を食べている猫に目をむける。猫はこちらの気分など知らずに呑気に餌を食べているが。呼べば助けてくれるだろうかと思って、そういえば名前をまだ付けてないことに気がついた。

もとより猫が助けてくれるとも思えないが、これで八方塞だ。

「あの・・・?」

 とりあえず真意を聞こうとして口を開いて、

「なんで?だって昨日あなた私に血を吸われたんでしょ?」

 とかぶせるようにいわれてしまった。ますます意味がわからない。疑問が強くなる俺を見て少女はかなりご立腹だ。今にもその綺麗な金髪が逆立つのではないかと思うぐらい。一体俺にどうしろというのか。

「ちょっと、少しは何か言いなさいよ。恥ずかしいじゃない。」

「ぇ・・・あぁ・・・そうだな。とりあえず・・・血は吸われたんじゃないかな?」

傷はないけど、とご立腹の少女に曖昧な答えを返す。

そう、確かに血は吸われたのだ。おかげでこっちは貧血で倒れそうになった。しかし、吸われたからどう、という問題でもない。だからこそ何故怒っているのかわからなかった。ひょっとしたら吸われたらどうにかなってないといけないのかもしれない。

少女は暫く納得のいかない顔をしていたが暫くすると口を開いた。

「・・・まぁ、いいわ。それなら、もうちょっとこっちに来なさい。」

「・・・なんだよ?」

 なぜか命令口調で、しかも何がそれならなのか理解できないが、言われたとおりもう少し近くに行く。といっても、元から手をつかまれている状態なのでたいした移動距離はない。ほんの一、二歩だけ動く。

「もっと。」

 そうしたら怒られた。ちょっとと言ったじゃないかと思いながらももう1歩動く。

 それでも何か不服らしく、なお手を引っ張る。正直、一気に移動できないのは体が警戒している上にかすかに嫌な予感がするからだ。だけど、体が近寄ってしまうのはその少女が、どこか不安そうな顔をしているからかもしれない。

 そんな風に、本当にお互いが触れ合いそうなほど近くまで寄らされてしまった。ここまできといてなんだが、しまったと思う。これでは不測の事態に対応できない。

「うん。まぁ悪くないわ。」

 目の前には端正な顔立ちをした、ほんの少し目つきがきつい少女。その真紅の瞳には吸い込まれそうになる。そんな綺麗な顔がすぐ近くにあると、そのことに頭がいっぱいで相手の言葉なんて入ってこない。

「それじゃ失礼して」

 いきなり、少女は俺の首に手をまわし、首筋に顔を寄せて、

「んー」

 噛み付いてくれた。

「って、うぉいっ」

 少女を力任せに引き剥がす。

「うん。今度こそ・・・」

 少女は引き剥がされたことも気にせず、そう呟いている。その姿が、こういっちゃなんだが、イライラしたのでついその頭を軽くはたいてしまった。

「えぇっ!?」

 少女にとっては不意打ちだったらしく涙目でこちらを見上げている。しかし、こっちにそんな涙目攻撃なんて通用しない。っていうかそんなことを気にしている余裕はない。

「おまっ・・・人の血を麦茶でも飲むかのごとくゴクゴクと。何様のつもりだっ。」

「あたしに血を吸われて、何もないなんてあなたの方こそ何様よっ」

 今日はどうやら、どうあっても大学にはいけないらしい。

 

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