「―――はぁ。いつもこんなんだ。」
俺はそんなことを言いながら、家路を急いでいた。背中には先ほどの少女を背負っている。
その少女は怪我をしていた。着ているものもところどころ破けており、何があったかは知らないがとりあえずそのまま放っておいては命に関わるかもしれない。そう、素人目に見てもその少女の怪我はそれほど深かったのだ。
だから、救急車を呼べばそれで終わりだったはずだ。そして自分も厄介事に巻き込まれず、平穏な日々を送れたはずだ。朝起きて、講義を受けるために大学に急いで、退屈な講義を受けて、バイトをやって家に帰る。そう、いまからでも遅くはない。そんな平穏な日々に帰れるはずだ―――
しかし、わかってしまったのだ。少女が、普通の人とは、違うということが。
「本当に・・・厄介事に巻き込まれるのだけは得意なんだから俺は・・・」
「う・・・ん・・・はぁ」
背中で少女が身じろぎしたのがわかった。その度に少女の長い髪の毛が顔に当たってくすぐったい。
「あと少しだ・・・頑張れ俺」
いろいろと、と心の中で付け足して、足にさらに力を込めようとしたとき―――
「やぁ・・・食べるのぉ」
「っ、な・・・ちょっ・・・」
その少女が、俺の首にしっかりと腕を巻きつけてきた。そのことに気をとられ一瞬思考が停止し、そして
カプ
という、何かが噛み付く音が、自分の首筋から聴こえた。ついでに言うと、まるでジュースを飲んでいるかのような音がそれから断続的に聴こえている。
「は・・・ぁ・・・美味しい・・・」
とても妖艶な思わず聞き惚れてしまうような透き通った声。だけどそれは、とても冗談じゃない科白でもあった。
「ちょっ、手前、このやろ。はーなーれーろー」
「やぁ・・・まだぁ・・・」
そしてその少女は更に腕を強く巻きつけ、首筋に噛み付いてくる。そしてその度に失われていく俺の血液。
いい加減ふらふらしてくる。つかこいつなんて力だ。はなれやしねぇ。
「うおりゃー」
「やぁ・・・」
結局そのやり取りは俺が家について貧血で倒れるまで続いた。
夢で見るのは母の優しい笑顔と、父の後姿だった。父の顔は覚えていない。何故かはわからないが、父のことを思い出そうとするとその後姿しか思い出せなかった。でもそれでも、母に教えられて父のことを知っていた。何かと忙しい身の上の人で世界を転々としていること、どの場所にも定住することがないので自宅といえるものをもっていないこと。そして、母と結婚し母が身ごもってからニ、三年間だけ日本にいて、俺がある程度育つと育児に専念する母をそのまま日本に残し、また世界を転々とし始めたこと。だからきっと思い出すことができる父の後姿は最後に見た父の姿なんだと思う。でもそんな父親を憎むことはなかった。父親のことを話す母親の顔がとても穏やかで、そしてとても幸せそうだったからかもしれない。そして、父の話をし終わった後に母は必ずこういうのだ。
「結真もきっと、いつか出会う。とても、とても大切な人に。この人と出会うために自分は生まれてきたと思える人に。だから―――」
あれ?
この後はなんていってたっけ?
何度も聞いて、もう覚えたよ、って母にもいっていたのに。とても、とても大事なことのはずなのに、なんで、俺はそこだけ思い出せないんだろう・・・?
「あー、まだクラクラする・・・。」
朝、いつのまにか家に住み着いた猫に起こされて改めて自分に血が足りてないことを実感した。そりゃ昨日まるでスポーツドリンクかの如くゴクゴク飲まれたのだから足りないだろうとも思う。というより寧ろ、いま自分が生きていることに感謝するべきかもしれない。
「ちくしょう・・・歩くのも一苦労だ。」
文句をいいつつ、奥の部屋に目をやる。そこには昨日拾ってきた(言い方に語弊はあるが)少女が眠っていた。というよりは転がっていた。どういう寝相をしているのか、昨日ベッドに寝かせたはずなのに少女はベッドから落ち、床で人の枕を抱えながら幸せそうに転がっている。まぁ、本人が気にならないならそれはそれで文句はないが。あそこまで寝相が悪いのを知っていたのなら、昨日貧血で倒れる寸前に少女をベッドに寝かしつけたりしなかったのに。
そんなことを考えつつ、猫に餌を出してから顔を洗いに洗面所に向かう。貧血でだるいことこの上ないが今日も講義があるので仕方がない。その講義は出席していれば単位がもらえるが、逆に休んだら単位はもらえないのだ。それはそれでシビアだが、テスト勉強とかしないで済むので楽といえば楽なのかもしれない。
「んー。不思議と傷はないんだなぁ」
洗面台で鏡と向かい合いながら首をさする。そこは昨日少女に噛まれたところだった。不思議と何の跡もなく、昨日あんなにも血を飲まれたのは嘘のようだった。てか、嘘だと思いたい。
「ココまでくると・・・ある種才能だな」
そう言いながら適当に髪を梳かす。
自慢ではないが俺―――三條結真は小さい頃から厄介事に巻き込まれるのだけは得意だった。一番印象に残ってるのは小学校の頃、修学旅行のバスがバスジャックされたことか。幼いながらにさすがに死を覚悟した記憶がある。確か中学校でもなんかあった気がするが、・・・あぁ知り合いが麻薬に手を出してたとか何とかで共犯扱いをされたのか。
「人生ろくなことないな・・・」
ふと過去を振り返って少し泣きたくなった。同時によく挫けなかったと自分を褒めたい。まぁ、一重に母親のおかげなのだが。
「とりあえず大学に行く準備しないと」
時計の針がそろそろ出ないと遅刻をする時間を指していたので、荷物を取るために、少女が転がっている部屋に入ろうとし、振り向いたところで真紅の瞳に見つめられていることに、ようやく気づいた。