拾ってきた狐をソファーの上に丁寧に置き、その頭をなんとなく撫でてから家にある救急道具で治療を始めた。といっても、こんなのその場凌ぎにしかならないから後でちゃんと獣医に見せたほうがいいだろう。

「あぁ、でも今月はそんなに余分なお金が無いのか・・・。藍の誕生日プレゼントをかったばかりだしな・・・。」

2日前は藍の誕生日だった。プレゼントに少しばかり値の張るチョーカーをあげたのだ。故にお金が無い。それはもう、今月趣味につかうお金が無いほどに。

「相談すれば・・・いや・・・しかし・・・どっちにしろダメっぽいしなぁ・・・」

なんとはなしに頭を抱えた。例え藍にお金がもらえたとして、この狐をそのまま連れて行けば標本にされるんではなかろうか・・・。

あぁ、それはダメだ。わざわざ応急処置をする意味がなくなる。助けたのなら、回復をまって、自分で森とかそこら辺の住処に戻ってもらうほうがいいに決まってる。ていうか標本は勘弁してください。

「まぁ、お前は狐だし。意識も無いだろうし。もし意識があって、俺の言っていることがわかっても、このことは内緒だからな?」

返事がないとわかっているのについ話し掛けてしまう。何故だかこの狐は酷く親しみやすかった。

――― だから、死なせない ―――

黄金の毛並みに手を伸ばし、優しく撫でながら、目をつぶった。心の奥底に、湖に沈む小石のように沈殿していたイメージを文字通り『呼び起こす』。

それは、理不尽に襲われたあの日から密かに練習を続けてきたことだった。この眼は、きっと、なにか大切なものを護るために有るものだから・・・

 

――― イメージは聖水、清らかなる水はあらゆるものの傷や、病を癒す ―――

 

そうやって、言葉を紡げば、いつだってこの力は呼び起こすことが出来た。まだ上手くイメージがまとまらず、時間はかかってしまうが、効果はあの日に身をもって実証済みだ。

「あとはもう少しじっとしててくれ。多分すぐ動けるようになるから。」

ポン、とまだ意識の無い狐の頭を優しく叩いて、台所に向かった。今日は簡単にカレーにするつもりだったんだが・・・

「・・・狐って・・・香辛料とか大丈夫なのか・・・?」

ふと思って、狐に聞こうとして、馬鹿らしくてやめた。きっと豚肉なら食べてくれるだろう。だから、今日は豚肉のしょうが焼きが夕食のメインを飾ることになった。

「あ、・・・と油揚げとか、あったほうがいいのかな・・・」

しかし、いまだに我ながら見当違いのことを考えている気がした。

 

 

「と、いうことなんだがどう思う妹よ。」

夕食の時間に未だにソファーでぐったりしている狐の説明をし終えて、意見を求める。妹―――藍は、目が点になった、というのがふさわしいような表情をしていた。

「むむ。・・・そうですねぇ・・・。やっぱり、油揚げは必要なんじゃないかしら?」

どこかの土地神様かもしれないし、と妹はとんでもなく見当違いな発言をしてくれた。さすが、血は繋がっていなくても俺の妹だ。発想が似たり寄ったりなのは、俺が藍に似たか、藍が俺に似たか。恐らく後者だというのが悲しいことだが。

「まぁ、油揚げはこの際おいておくとして、問題は・・・あの狐をどうするかなんだけど」

「え・・・?飼うんじゃないんですか?」

藍が―――心底意外そうに―――訊ねてきた。どうも、藍にとって今の話の流れは狐を飼うということに帰着するらしい。

「しかし、あれは明らかに無理だろ・・・」

尻尾9本あるし。と付け足して言うと、藍はにっこり笑って

9本あると可愛さ倍増ですよね?」

なんて言ってくれた。どうやら藍の中では、回復をまって自然に帰すのではなく、そのまま家で飼うことになっているらしい。前から可愛いものに対して目が無いと思っていたが、まさかこれほどまでとは思わなかった。今まで捨て猫とかを拾ってこなかったことが不思議なぐらいだ。

夕食(今日はそれなりに上手く出来たと思う)をつつきながらちらっと、藍の顔を盗み見た。藍はこの上ないぐらい幸福そうにこれからくるであろう可愛い動物―――あの狐との生活を夢想しているらしかった。

「兄さんが拾ってきたんですから、文句は無いですよねっ」

―――あぁ、なるほど。要は、俺を気にして拾ってこなかっただけなのか

「そうだな。少し切り詰める必要はあるが、1匹や2匹問題は無いだろ。」

知らず、そんなことを口にしていた。藍は、最上級だと思っていた今の笑顔よりもさらに幸福そうに微笑む。

野生の狐なのだからすぐ出て行くのではないか、という疑問は口にしなかった。今の藍の幸福な気持ちに水を差すわけにはいかなかったし、何よりも、この俺も九尾狐というペットとしては破格のものを飼うということを夢想してしまっていた。

 

 

気づいたのはもう日も落ちてしまってからだった。あまりにもあの腕のぬくもりが優しすぎて、疲れていた身体が一気に眠りに落ちていたのだ。あのときにはもう死ぬ、という感覚は無く、ただ漠然とした安心感が抱けた。

それにしてもゆっくりと眠りすぎた。いくらこの空間が暖かいからとはいっても、いささか無防備すぎた気がする。

体を起こし。ゆっくりとあたりを見回した。そして、未知のものを大量に目にした。きっと、ワタシの与り知らないうちに人間の生活が向上したということなのだろう。人間の進出に従い、どんどん山奥に追いやられていったワタシ達が知らないのも必然といえば必然か。

この空間は、ワタシを呼んでいる人間の声が色濃く残っている。他の人間の声もあるが、それはワタシに害を成すものではなく、どちらかといえば好意的なものだ。むしろ、好意的過ぎて少し背筋が凍るが、どうやらワタシを追っている人間のような悪意は微塵も感じられないことから悪い人間ではないらしい。

まだまどろんでいる体に鞭をうって起き上がり、この空間でもっとも声が強い場所を目指す。行って何をするのかなんてわからない。抱きしめて欲しい、という願望は既に果たされた。それは単なる好奇心。どんな人間なのかという純粋な好奇心からきているものなのかもしれない。カイダンを昇り、一つのヘヤの前に来た。しかし、そこで困ったことがおきた。目の前には壁がある。見た感じ扉らしいが、右に動かしても、左に動かしてもびくともしなかった。ともすれば、これは本当に壁なのかもしれない。

爪を立てがりがりとその壁を引っ掻く。引っ掻いたところで何も無いかもしれないが、とりあえず、こうしていれば中には入れる気がした。

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