「踏み込みが甘い。それに相手に決定的な隙ができていないのに踏み込むのは早計です士朗。」
「そんなこといったって、セイバーの隙なんてわからないぞ俺。」
「・・・打ち込まれたときに隙を作ればいい。」
「衛宮には無理だと思うぞディフェンダー・・・」
朝、陽が昇ってまだ間もない時間、衛宮邸備え付けの道場では早朝鍛錬が行われていた。鍛錬といっても端から見れば士朗がセイバーにぼこぼこにやられているようにしか見えないのだが。
昨日の夜、衛宮がセイバーを止めた直後に美綴を背負ったアイギスが到着し、セイバーとアイギスの間の温度は体感で氷点下付近まで急激に下がったのだが美綴をどこかに運ぶことが先決だという俺の意見に士朗が同意し異様な緊張感を保ったままとりあえず移動することとなった。しかし、情けないことに美綴の家を二人とも知らず比較的近い衛宮の家に緊急避難することになり、そのあと帰るに帰れずなし崩し的に早朝鍛錬を見学している。
「そうだなぁ。どうせなら見本が見てみたいんだけど、駄目かな。」
士朗がさっきの提案をしたアイギスを見て、駄目だろうけど、と呟く。
「・・・・・・」
その言葉を受けたアイギスはこちらを見上げる。やってもいいのかと、その瞳は告げているようだった。その瞳に対して頷く。勝手にしてくれと。
「いいのですか?ディフェンダー。ここで怪我でもすればこれ以降の戦闘に支障が出るものと思いますが。」
「―――いい。そんなことにはならない。」
「っ―――。それは私など相手にならないということですか?」
「そう思うということは自分でそう思っているということ。」
「くっ・・・いいでしょう。すぐにその口を塞いであげましょう!!」
「できるなら、どうぞ。」
「後悔をするなよディフェンダー!!!」
X 楯の英霊
上段から振り下ろされた竹刀を視認しながら、アイギスはどうするかと思案する。
ただ振り下ろされた一撃は力任せに振り下ろされたように見えてとても防ぎにくい。相手の防御をある程度想定し、相手の実力を考慮して防がれることを前提としての一撃。それをただ単純に防ぐだけでは当たり前のように繰り出される二の撃をもらうことになる。つまりセイバーの攻撃を防ぐということは、その二の撃を、更にその先を想定し防ぎきるという、相手の思考を上回る思考を展開しなければならないということになる。
相手の防御を打ち払おうとするものと、防御を持って相手を崩そうとするもの。その戦いは一見一方的に見えてその実、常に二手、三手先を読んで行動しなければならない頭脳戦でもある。
セイバーには積み重ねてきた経験と叡智、そして彼女を支える未来視じみた直感をもってして一瞬にして最良の判断を行う。しかしアイギスはセイバーのような直感は持っていない。故に、その行動の全てが彼女がただ愚直なまでに積み重ねてきた訓練と、実戦と、知識に判断される。
「―――フッ!」
「!!」
振り下ろされた竹刀を受け止めるのではなく、竹刀をぶつけて打ち払うのではなく、受け流す。頭上に水平に構えた竹刀にセイバーの竹刀が直撃する瞬間に竹刀全体を傾斜させ、力のベクトルをほんの少しだけずらす。受け止められると、弾かれるだろうと予測されてある程度の力が乗せられた剣は吸い込まれるように地面に叩きつけられた。
その音も聴かずにセイバーの間合いへと一歩踏み込み逆に相手の頭を狙い竹刀を振り下ろし―――
「ッア!!」
腹部を狙い、地面から跳ね上がってきた剣を避けるために大きく後ろへと退いた。
その身は剣の英霊と楯の英霊。防ぐことでアイギスがセイバーの意表をつくことができるように、セイバーの剣速がアイギスのそれに劣る道理は無い。
「・・・流石セイバー。」
「認めたくはありませんが、貴方の技術もたいしたものです。」
正眼に構えセイバーは言う。その表情から余裕はうかがえない。そしてまたアイギスにも余裕はなかった。お互いに最後の一撃、相手を完全に討ったと考え、繰り出していた。アイギスはこれ以上セイバーが何かをする前にセイバーに当てる自信があったし、同様にセイバーにはアイギスの竹刀が自分に届くよりも速く、そしてアイギスが避ける動作に移るよりも―――否、気づく前に胴を斬りつける自信があった。
それが外れたのだ。相手を過小評価していたわけではないが、自分の認識が甘いと言わざるを得ない。
「構えなさいディフェンダー。次こそ貴方の守り、崩してあげましょう。」
「・・・・・・」
その言葉に、アイギスは応えなかった。俺を含んだ誰もがその予想外の行動に戸惑う。理由を問いただそうと俺が口を開きかけたとき、
「・・・よく、休めた?」
「え、あぁ。よく休めた・・・かな?」
アイギスの視線の先―――道場の入り口には、場違いな場所に来たかなぁ、なんて顔をした美綴が立っていた。
美綴の覚醒をきっかけに、その場はなんとなく解散ということになった。セイバーははっきりと決着をつけたかったようだが、竹刀での戦闘とはいえお互いにその気になればその剣舞は人知を超える。そんな戦闘を一般人である美綴にあれ以上見せるわけにはいかなかった。
道場から居間に移っても朝食までにはまだ時間があり、それ以上話すこともなく、俺とアイギスは美綴を送るがてら帰宅することと相成った。その去り際、アイギスは一晩止めてもらった礼か、それとも気まぐれかはわからなかったが衛宮にそっと耳打ちをしてきたらしい。
昨日交戦したサーヴァント、ライダーは瀕死になりながらも戦闘を離脱したということと、そのマスターが間桐であるということ。そして、結界から感じる気配と、ライダーの気配が酷似していることから学校に結界を張ったのはライダーである可能性が高いということを―――
「それにしても、アイギスさん凄いですね。あの動き、なにか特殊な稽古をしているんですか?」
「特には行っていない。アヤコにもできる。」
「そんな、私なんてまだまだ未熟ですし無理ですよ。」
その帰り道、美綴とアイギスの間には女の子としては多少物騒な会話が展開されていた。美綴はセイバーとアイギスの模擬戦を見ていたらしく、そのことでしきりにアイギスに話し掛け、アイギスを尊敬していた。アイギスもそんな美綴に対して嫌がる素振りも見せず、どちらかというと美綴と話すことを楽しんでいるように受け答えしていた。
「アヤコは武芸に秀でていると兄から聞いている。」
「そうなんですか?」
と、その会話をなんとなく聞きながらこれからのことを考えていたのだが、どうやら会話の矛先は俺に向いたようだった。因みに兄とは俺のことで、俺とアイギスの関係は腹違いの妹ということになっている。自分でも無理があると思っていたのだが、その説明を聞いた美綴はなぜか妙に納得してしまった。
「そうだな、美綴は武芸において天賦の才があるといっても過言ではないと思うが。」
「やだなぁ、霧夜。褒めても何にもでないぞ。」
カラカラと笑う美綴は何故妹ということになってるアイギスに敬語で俺にタメなのか。気楽でいいが何か釈然としない。師範に敬語を使うのとかとおんなじ感じなのだろうか。
「お、ここまででいいよ。ウチこっから近いからさ。」
「おう。疲労で倒れるぐらいなんだ。今日はゆっくりしてろよ美綴。」
「あー。そうだな。今日ぐらいゆっくりさせてもらおう。」
「ん。休養は大事。弓道部のことは兄に任せて。」
「お?気前がいいな霧夜。霧夜が行ってくれるなら安心だな。んじゃよろしくー。」
「・・・しょうがないな。今日に限って貸しはなしにしといてやる。」
美綴ははじけるような笑顔で手を振りながら去っていく。いつも明るい奴だが、今日は更にご機嫌だったな。その上機嫌がアイギスに移ったのかアイギスも心なしか嬉しそうだった。
「さて、これからのことだが、どうする?」
「―――できるなら今日中に、あの結界を崩す。あの結界は不快。」
「あの結界がライダーのものだとしたら間桐のことだ。今日中に動くだろうしな。・・・なら少し準備をして登校するとするか。」
「了解。エン。」
意外と準備に手間取ったにも拘らず学校には始業よりも大分前についてしまった。その理由は今朝の何でもない会話。自分でも律儀だと思うが、今日一日は弓道部の面倒を見るといった自分の言葉を嘘とする訳にもいかない。
急いでも結界の基点は壊せないのだから”その時”まではいつも通り過ごしても罰は当たらないだろう。まぁ、いつも通りといっても今日の俺の鞄には授業用のものはノートが一冊だけしかない。あと鞄に入っているものは適当に見繕ったどんな効果があるかもわからない短剣が2本と、非常に物騒な鞄になっている。更に竹刀袋にはいつもの日本刀が入っているので、勉強をしにきたというよりは戦争をしにきたというニュアンスに近い。
「―――ク。」
思わず自分の考えに吹き出してしまう。
成る程、その表現は的を射ている。今この街は聖杯戦争だなんていう7人の魔術師と7騎のサーヴァントによる擬似聖杯の争奪戦の最中だ。当事者がたった14だけだとしても、7人の魔術師と英霊だなんていうサーヴァントが本気で戦えば確実に内紛以上の被害は出る。まぁ神秘は秘匿するものであるためにそんなへまをするのは三流以下の魔術師か、堕ちた魔術師ぐらいだ。ライダーのマスター―――間桐は確実に前者、突き詰めて言えば魔術師ですらない。サーヴァントを従えて魔術師に、特別になろうとしている一般人にしかすぎない。
でも、それがどうしたというのか。”こちら側”に足を踏み入れたのだから、、既に一般人であるか魔術師であるかなど関係ない。あるのは、生きるか死ぬかという結果だけなのだから。
「―――霧夜先輩?」
自分を呼ぶ声に、現実へと呼び戻される。そこには見覚えのある生徒―――弓道部の後輩が不思議そうに俺を見上げていた。
「すまない。ボーっとしてたようだ。これから部活か?」
「はい。最近は夜遅くまでできないから、せめて朝だけでも早くからやろうと思って。」
「そうか。―――ふむ。そうだな、少し指導してやろうか。」
一瞬「頑張れ」と言おうとして、美綴との簡単な口約束がひっかかった。―――仕方ない、なにせ約束というのは守るためにするものなのだから。俺の言葉を受けた後輩はキョトンとこちらを見上げている。
無理もない。俺だって急にこんなこと言われたらキョトンとするさ。
「なんか変なこといったか?」
「え?は、いえ。すいません。霧夜先輩が朝からくるなんて久しぶりだなぁ、なんて。」
「―――む。そうか、俺はいつもギリギリに登校してるからな。まぁ、今日は特別だ。」
「みんな喜びますよ。霧夜先輩は教え方が丁寧ですから。」
ニッコリと笑う。話を聞けば主将である美綴と顧問の藤村先生だけではいつもみんなに指導は行き渡っておらず、間桐は滅多に顔を出さないから当てにならないそうだ。顔を出したとしても女子を遊びに誘って消えるという、真面目な部員にとっては迷惑極まりない存在らしい。
みんなの前ではこんなこといえませんけど、なんて後輩はバツが悪そうに笑う。本当にアイツは周りにどれだけ迷惑をかければ気が済むというのか。俺の溜息をどう取ったのか、後輩は苦笑する。
「藤村先生も最近はちょっとばかし忙しいみたいで、主将は最近てんてこ舞いです。」
「まぁ・・・藤村先生は・・・なぁ?」
言わんとすることが上手く言葉に纏まらなかったのでぼかしながら同意を求めると、伝わったのか後輩も苦笑した。
そんな下らないことを話しながら弓道場に移動し、朝の部活を開始する。此処で一区切り。弓でも射て、自分を落ち着け、最高の状態で相手を挫いてやるとしよう。
――――interlude
「ちょっと衛宮くん、それ本当なのっ!!?」
「お、おう。ディフェンダーがそう言ってたんだから間違いないと思う。昨日ライダーとも一戦交えているといってたし。」
朝、士朗から報告したいことがあるという電話を受け、今は二人して登校している最中だった。何故か私たちの後をセイバーがついてきているがそれは後回し。さらに今の私の大声に何事かと周りの人がこちらを向いているが、今はそれどころじゃない。
「それじゃあ、あの時の霧夜くんの言葉は本当だったというわけね。」
「ん?遠坂はエンのことを知ってたのか?」
「えぇ。彼と彼のサーヴァントの戦闘を偶然目撃したからね。問い詰めたのよ。」
結果はぐらかされた上に妙な情報まで渡されたというのは黙っておく。
「それで、どうするんだ遠坂。」
「そうね。やっぱり慎二をとっ捕まえて結界を消させましょう。あの結界、発動させるわけにはいかないもの。」
「わかった。とりあえず、藤ねえに頼んでセイバーは弓道場に置いておいてもらえるようにしたから、詳しい話しはまた昼休みにしよう。」
「衛宮くんにしては随分と手回しがいいじゃない。もしかして霧夜くんに何か吹き込まれたのかな?」
「そ・・・そんなことはないぞ遠坂。俺だってこんぐらいはするさ。」
士朗は隠し事がヘタね。それじゃあ図星ですっていっているようなものだ。でも、まぁそれもあえて黙っておく。なんにせよその入れ知恵のおかげで万が一結界が発動されるようなことが起きてもすぐに収束させることができそうだ。
「それじゃあ士朗、教室で慎二を見つけたら絶対に逃がさないのよ。」
「おう、任せとけ。」
その返事に自然と笑顔になる。士朗はお世辞にもあまり頼りになるパートナーでは無い。しかし、彼はこちらを裏切ることはないという信頼は置ける。ならば、彼は最高のパートナーだ。
あとは今日のことを思案する。慎二にどうやって令呪を放棄させるか。
そうして校庭へと一歩踏み出して、異界に捕われた。
―――――interlude out
不意に視界が紅に染まった。比喩ではなく、怪我を負ったわけではない。そう、現実に世界は紅に染まっていた。紅の帳が、学校全体に下りていた。
「朝早くから、随分と張り切っているみたいだなっ・・・。」
立ちくらみがする。四肢がその機能を放棄し、無様に倒れようとする。
でもそれは許さない。咄嗟に魔力回路を起動させ、限界を訴える四肢を無理矢理に奮い立たせ、その全てを戦闘用のそれへと書き換える。
「―――は、ぁ。」
周囲を見渡せば弓道部の部員が一人残さず倒れている。朝練中で疲労をしていたということもあるんだろうが、どうやら此処にいる生徒はみな既に意識を失っているらしかった。こちらの神秘を秘匿する必要がなくなるので手間がかからないのは喜ばしいが、あまり気分のいい光景ではない。それに詳しくは看てみなければわからないが、あまり予断を許すような状況ではないだろう。恐らくこのままではこの場にいる部員は数刻と待たずにこの結界に取り込まれてしまう。
「―――エン。」
「わかってるよアイギス。すぐに片をつけよう。」
実体化したアイギスの表情からは明らかに苛立ちが見て取れた。ここまで怒気を孕んだアイギスも珍しい。どうやらこの結界は彼女の中にある触れてはならないなにかを決定的に侵してしまったようだ。
竹刀袋から日本刀を、鞄から二本の短剣を取り出し一本をアイギスに渡す。
「アイギス。」
「・・・なに?」
「全力戦闘を、許可する。好きにやれ」
その言葉に、アイギスは力強く頷いた。
今までの守り一辺倒な戦い方は、確かに彼女をディフェンダーと言わしめるには十分なものだった。バーサーカー相手でも引かず、セイバーを相手にとってもその意表をつくことができる。それは洗練されていて、恐らく彼女は本当に守る戦いをなによりも得意とした英霊なのだろう。しかし、それは彼女の本当の戦い方ではないはずだ。彼女が戦闘で用いていた武器は召還時に使用した銀の楯と概念武装である短剣のみ。だが彼女が英霊だというのならば、あるはずなのだ。彼女を英霊たらしめたもの―――宝具が。ならば、その宝具を使わなかった彼女の今までの戦闘がなぜ彼女の全力だと言うことができるのだろうか。
彼女は首からさげていたペンダントに手を伸ばし、祈るように目を瞑ると一言だけ、
「―――”受け継ぎしもの”」
そう、呟いた。
紅の帳の中、弓道場だけが深蒼に染まっていく。アイギスは呼吸をするような自然さで大気の魔力を自らの内へと取り込んでいく。膨大な量の魔力は、しかし一滴も溢れず、まるで大海に流れ込む河川のように自然に取り込まれていく。再び開いた彼女の目は真紅に染まっていた。
―――その魔力のあり方は、どこかで見覚えがあった。
「行こう、エン。」
「アイギス・・・お前―――」
その在り方を見てなんでか彼女について思い当たったことがあった。でも、それは上手く言葉にならない。彼女が何であるかというのは、今は関係がない。それにその可能性すらあるのだから。違う可能性すらある。なのに、なんでそんなことを思ってしまったのか。そう、これは余分な思考だ。少なくともこれからの戦いには関係がない。
なら、今は必要なことだけ考えないと。
「あぁ―――行こう、アイギス。」
軽く頭を振り、馬鹿げた思考を振り払う。これは戦争なのだから、余分な思考は死を招く。
思考をクリアにし、スイッチを切り替える。
「此処からは、容赦無しだ。」
アイギスが頷くのも待たずに、弓道場を後にした。