時刻は夜、月が天に昇り一番自分の調子が上がる時間に、家に備えられていた地下室に立っていた。

 息が白い、いくら家の中とはいえ冬の気候は侮れるものではなく寒気は容赦なく体中を駆け巡る。

 

「ん。始めるか。」

 

 この街に来てもう直ぐ二年になろうという冬。漸く待ち望んでいた聖杯戦争は始まろうとしていた。普通の人間にとっての日常というものは自分にとっては異界だった。言葉が通じるが常識が違うのだ。常に死と隣り合わせだった俺にとって、この程度の安寧で自分は死なないと本気で考えている彼らと自分は違う存在だということを痛感する。自分は既に普通ではないのだと。

 

「これでよし、と。」

 

 血で魔法陣を書き上げ、自分の体の中にある魔術回路を起動させる。

この二年は別の意味で鍛錬だった。異常の自分を普通に見せ、異常を悟られぬように異常であり続けるための鍛錬。如何に魔術師としての自分を磨きながら日常を演じるか。あの城にずっといたならば学ばなかっただろうし、知らなかっただろう。日常というものがどれだけ居心地が良くて、どれだけ得がたいものかということを。

 

「―――告げる。」

 

 だから、もうそれは捨てる。この戦争がはじまれば二年続いた日常ごっこも終わり、俺にとっての日常が戻ってくる。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うのならば応えよ。

誓いを此処に。

我は常世総ての善と成る者、

我は常世総ての悪を敷く者。

汝三大の言霊を纏う七天、

抑止の輪より来たれ、天秤の護り手よ!!」

 

 光が視界を塗りつぶす。無駄な抵抗だとわかっているが目をつぶり、外界の情報を遮断した。そして思案する、果たしてどんなものが呼び寄せられるのかと。

こういった召還には自分の目的とした英霊を確実に呼ぶためにそれに縁のある武装やシンボルを用いるそうだ。なので、慣例にしたがって姉さんがくれた武装から適当なものを見繕って魔法陣の中心においてある。鈍い銀色の楯でその前面は鏡のようになり、ヘビの模様があしらってある。

それでも自分はその楯がどこの伝承のものかなんて知らないし、ましてやその持ち主なんて知る訳が無い。楯の名前すらわからないのだからまぁ、当たり前といえば当たり前なのだが。

―――だから、結局のところそれを触媒に用いたところで何の英霊が召還されるかなんて、召還してみなければわからなかった。

光が収束する。そこには白い甲冑を身に纏った灰色の髪の少女が立っていた。

 

「こんにちは。聖杯に導かれしサーヴァント。」

 

 青緑色の瞳を柔らかく歪め、少女は良く見なければわからないほどの角度で会釈した。

 

「サーヴァント・ディフェンダー。召還に応じた。」

「ディフェンダー・・・イレギュラークラスか。まぁ、ようこそ。この下らない戦争へ。俺がお前のマスターとなる霧夜 怨だ。」

「エン・・・。私の名前はアイギス。この世界ではない世界で悪夢の楯と呼ばれた楯の騎士。」

「そうか。ならば真名で呼んでも差し支えがなさそうだな。これから宜しく頼むよ、アイギス。」

「総ての知識と業を貴方の楯と成し、戦う。」

 

 

 

U 狂戦士とダンスを

 

 

 

「―――そういえば、サーヴァントってのは料理とか食べれるのか?」

「摂取自体に問題はない。」

 

 その言葉に安心して来客用の湯飲みにお茶を注ぐ。さっきの召還で元々大して絶対量のない魔力が大分持っていかれてしまったので、何か飲み物を飲みながらではないと、意識を保っていられる自信がなかった。

 湯飲みに熱いお茶を注ぎ適当にお茶請けを見繕って、自分とアイギスの前に置いてから一息つく。本当は明日でもいいんだが、こういうことは一番初めに話し合っておくべきだ。

 

「で、だ。アイギス、お前は何のために聖杯を求める?」

 

 それは目標。冬木の聖杯は他の紛い物と違い本物に近い力を持つという。それは願望機としての力。無限に近い魔力の器は魔術師であれば正に何でも叶えることが可能になる万能の器であろう。

 

「願いたいことはない。私の人生は非常に充実していた。今回呼ばれたのは私と縁のあるものを触媒として召還が行われたためにすぎない。」

「良かった。俺の今回の目的は少し特殊でね。もしアイギスに願うことがあったんじゃ、申し訳ないところだった。」

「―――貴方に、願うことは無いのですか?」

「そうだな。ないというわけじゃない。何でも出来るというなら、叶えたいことはある。俺も魔術師の端くれだからな。でも―――」

「・・・?」

「―――それは、聖杯に頼っては意味がない。まぁ、自己満足って奴だ。」

 

 聖杯は強くそれを欲するものをマスターとして選別するらしい。その点から考えれば自分がマスターとして選別されたのは唯の人数あわせか、神ならぬ聖杯の気紛れである可能性が高いのだ。最も令呪を得られなかったという理由であの城に戻ることだけはなんとしても避けなければならなかったので、そう考えれば聖杯を欲しているといっても間違いではないのだが。まぁ、どちらにしろ俺が求めているのは願望器としての聖杯ではなく、証としての聖杯なのだ。

 そう答えた俺をみてアイギスは少し表情を崩す。それは良かったと言外に語っているような気がした。

 

「エン。私は総ての知識と業を貴方の楯と成し、戦います。」

「―――っ。あぁ改めて宜しく・・・」

 

 それは不意打ちだった。全く表情を崩さなかった彼女がニッコリと笑い、俺を見上げながらそう呟いたのだ。正直、いろんな意味で心臓に悪い―――が、少し得した気分にもなる。

 

「で悪いんだが、明日まではこの家の中で自由にしててくれ。・・・もう駄目だ。」

 

 いい加減目蓋が重い。アイギスが何かを言うのも却下して、その場に寝転がった。

 意識が落ちていく中、風邪をひくかもしれないとそんなことが頭をよぎった。

 

 

 

 次の日目が覚めたら既に昼間だったので、学校はサボることにした。なにげに皆勤賞だったのだが、もう既にすぎてしまったのだから仕方がないし、この際だから街中をアイギスに見せるのもいいかもしれない。そんなことを提案したら

 

「―――夜が好ましい。相手もまた夜に攻めてくる。」

 

 だそうだ。なので折角だから体を休めるという名目でもう一眠りすることにした。

日が落ちるのを待って夜の街へと繰り出す。

 

「それなら、大体のことは知識としてあるんだな?」

『召還された時に必要な情報は取得できる。でも、情報と実地は異なる。』

 

 夜道を一人で歩く。アイギスはその純白の甲冑のせいで目立ちすぎるため今は霊体となってもらっていた。そのおかげで他のサーヴァントには知覚されるが、一般人の目に触れることは無い。それはこちらとしては有り難いことだ。なにせ、魔術というものは秘匿するものである。目立ってしまっては何の意味も無いのだから。

 

「成る程。しかし、本当にあれらの武装を使って闘うのか?」

『これだけの概念武装なら他のサーヴァント相手でも遜色ない。』

 

 昼間俺が寝こけている間に、家を色々と探索したアイギスは地下室の隅に置いてあった概念武装の山を見てそれを使わせてくれないかと申し出てきた。彼女の持つ宝具はその名の通り楯だけで、他サーヴァントと戦うときに攻勢に出れるものがないのだという。元々自分には使い勝手が悪かったので地下室に放置してあったので、そのまま放置されているよりは英霊に使ってもらえるならばそれら概念武装も本望だろうと思い二つ返事で了承した。

 暫く物色した後、アイギスを召還する時に使った楯と短剣を選び満足したようだった。

 一方俺は師匠から選別として貰った日本刀のみを携帯している。自分でサーヴァントと戦うつもりはないが、一応自分の身を護る保険のようなものだ。

―――――ギィン

 ふと、異常な魔力の塊が衝突してる気配と、鉄と鉄がぶつかり合うような鈍く、でもどこか高い音が聞こえてきた。

 

「あぁ―――今日は実に賑やかな夜だな。」

敵サーヴァント2、及びマスターを1検知。こちらへの敵意は無いものと判断。命令を。

 

 訊くまでも無いという風にアイギスは尋ねてくる。

 

「折角だから、見学をさせて貰おう。」

『了解。エン』

 

 

 

――― interlude

 

「シッ―――」

「■■■■■■■―――っ!!」

 

 鉛色の巨体に青い旋風が迫る。

 青い旋風から繰り出される狂気は紅い突風。その速さたるや防ぐことは愚か視認することすら不可能なほど。

 

「■■■■■■■―――っ!!」

 

 しかし、その突風をものともしない鉛色の巨体は手に持っていた岩を削っただけのような剣を暴風のように振り下ろす。

 

「チッ―――」

 

 それを踏み込んだ速度よりも早い速度で飛びのいて避ける。その様はまるでその身が旋風なのならば、暴風の前には霧散するしかないと、知っているようだった。

 

「どうしたのランサー。その程度では私のバーサーカーは倒せないわ。」

「ハッ、でかいだけかと思ったら存外やる。」

「負け惜しみはみっともないわよランサー。貴方の槍ではバーサーカーの鎧は貫けないとわかったでしょう?」

 

 鉛色の巨体の後ろに立つ少女は愉快気にランサーを見ていた。自分は負けるわけがなく、相手が負けるのは必定だとその赤い瞳は語る。

 

「残念だがその通りだ。今のままじゃあ無理そうだな。是非とも本気の時にやりたいもんだ。」

 

 その少女に槍兵は笑う。自分はまだ本気ではなく、更にその奥があると蒼い甲冑に身を纏った青年は言うのだ。普通ならば負け惜しみと思うその一言、しかし少女はそれに疑問を挟まない。なにせ彼の英霊は彼を英霊たらしめる一撃を、宝具をまだ出していないのだから。

 

「へぇ、そう。じゃあ早く本気を出した方がいいわ。」

 

 じゃないと後悔するよ、と少女は微笑む。

 少女は相手が本気を出していないといい、それを信じた上でなお嗤う。それもそのはず彼女のサーヴァントであるバーサーカーもまた宝具を持ち、少女はその宝具を最強だと信じている。

 

「お言葉に甘えたいところだが、これが一度目の戦いだというのがいけねぇ。是非とも、次のときまで生き残って欲しいもんだ。」

「逃げるの?ランサー。本気じゃないというのは負け惜しみなのかしら。」

「ハッ、どうとでも言え。生憎ウチのマスターは臆病者でな。今のままで無理ならば退けと言ってやがる。だが―――追ってくるというのならば、その命必ず貰い受ける。」

 

 ランサーは高く跳躍し、やがて宵闇へとまぎれていった。本来ならばこのまま追ってランサーを打倒するべきだろう。しかし、今宵はまだ6つしかサーヴァントは揃っておらず、正式に聖杯戦争がはじまったわけではない。レディたるもの、ルールは護ってしかるべきだと少女は思う。

 でも、盗み見られているというのはあまりいい気分では無い。

 

「こんばんは。少しはこれからの参考になったかしら。」

 

―――interlude out

 

 

 

「こんばんは。少しはこれからの参考になったかしら。」

 

 白髪の少女は行儀よくスカートの裾を持ち上げて一礼をしてきた。その背後に鉛色の巨体が無ければ、夜の雰囲気とあいまって随分と幻想的なものになると思うのだが、その鉛色の巨体の放つ強烈な死の気配のせいでその一礼は死神のそれに見える。

 

「そうだな、敢えてあげるとするならばランサーの潔さとバーサーカーの異常さが見て取れたな。」

 

 臆することなく、言い返す。あれの持つ死の気配は異常だが、俺はそれよりも濃い死の気配を知っている。それは黒の姫君の居城で毎日感じていたものに比べればまだましなほうだ。

 

「そう。ランサーは巧く逃げおおせたけど、あなたはどうかしら。」

「できるなら逃げたいところだが、上手くいくかな?」

 

 少女の気配が変質した。その気配を感じたのかアイギスは実体化し俺とバーサーカーの間に立つ。

 全く、初日からついてないな―――

 

「やっちゃえ、バーサーカー!」

「―――ディフェンダーお前の力見せてみろ。」

 

 暴風のように振り下ろされる大剣をアイギスはその手に持った鏡のような楯で受け止め、

 

「なっ―――」

 

 更にそれを打ち上げた。

見た目的にもアイギスにはバーサーカーを上回る筋力は無く、実質あるはずはない。バーサーカーのクラスは理性を奪われる代わりに総ての力が引き上げられる。あの英霊が発する気配は並の英霊ではなく、相当なもの。恐らく神話にすら名を連ねるような偉大な英霊なのだろう。なればその力、バーサーカーでなくとも相当あるに違いない。加えてあの巨体、それから振り下ろされる剣の威力は計り知れない。

 だが、それを防いでこそのディフェンダー。相手がどれだけの力で打ち込んでこようとも、どれだけの技を行使しようとも、彼女にはその総てを受け、弾き、防ぐ業と知識がある。

 

「―――!」

 

 相手の攻撃のタイミングを見切り、相手の攻撃の威力を想定し、自分が受けるべき最良の位置を割り出す。最高のタイミング、最高の角度でアイギスは楯と相手の剣を衝突させ、受け、弾き、相手の体勢を崩しにかかる。

 

「■■■■■■■―――っ!!」

 

 しかし、相手もそれしきで体勢が崩れるほど弱くは無い。本能のままに剣を振り、相手に向かって叩きつけているようなだけに見えて、その剣筋は実に巧い。弾かれたことなどものともせず、剣に働く慣性など力でねじ伏せ、弾かれた攻撃よりもより速く、より強烈にその剣をたたきつける。

 既に数十合、どこまで続くのか予想もつかないその猛攻に打ち勝ったのはアイギスだった。相手の剣を地面に向かって弾き、地面にめり込んだ剣を踏み台として俺の横まで跳んで戻ってきたのだ。

 

「・・・イレギュラークラスの癖にバーサーカーの攻撃を受けきるなんてやるじゃない。」

「この身は楯の英霊、あの程度の攻撃防げないではディフェンダーの名が泣く。」

「へぇ・・・」

 

 少女は目を細める。アイギスの言葉を挑発と取ったのか、その瞳は苛立たしげに揺れていた。

 

「まぁいいわ。今宵はまだサーヴァントは総て揃っていない。幕が上がる前に退場しちゃったら可哀想だもの。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ディフェンダーとそのマスター、次に遭う時まで生きることを許してあげるわ。」

「それはありがたいねイリヤスフィール。俺は霧夜エン。是非とも二度と遭いたくはないな。」

 

 イリヤスフィールは一礼をし、バーサーカーを伴って夜の闇へと消えていった。

 それを確認して、何とも情けないことに全身から出ていた冷や汗を拭った。

 

「いきなりとんでもないものを引き当てたな・・・」

「タイミングを違えればスクラップだった。」

 

 危なかったと、まるで他人事の様にアイギスは言う。

 実際、先ほどの攻防には危うさは感じなかった。アレだけ無数の剣戟を受けた楯には傷一つついていないし、アイギスは息を切らしてすらない。全く、サーヴァントってのはどいつもこいつも化け物ぞろいだ。

 

「―――ふぅ、どちらにしろ一介の魔術師が介入できる戦闘じゃないということはわかった。それに、今の戦闘を見てて自分がやるべきこともよくわかった。」

「私が、倒せれば・・・」

 

 アイギスは語尾を濁らせながら俯いてしまう。そう、本来ならばアイギスが敵サーヴァントを打倒できれば一番いいのだ。しかしその身は楯の英霊、いかなるサーヴァントですら侵略を許さないが、自分からの攻撃もまた難しいのだろう。

 つまり、アイギスが敵のサーヴァントを足止めしマスター同士の対決で打ち勝つ。それがサーヴァント・ディフェンダーとそのマスターの戦い方。

 

「鈍ってなければいいんだけどな。」

 

 嘆息しつつ、街の探索を再開した。この二年で白と黒に習ったことを全て忘れてなければいいなぁなんて、そんなことを考えながら。

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