『この地は放棄する。』と誰かがいい、天から火が降ってきたのはどれくらい前だったか。雨のように降り注ぐそれに両親は動揺し、僕達に水をかけ濡れた布をかぶせた。

『この街はいずれ死都と化す。そうなる前の私の配慮だよ。』と誰かがいい、炎の雨は嵐になった。両親は僕達を抱きしめ、家の中でただ震えていた。布の隙間を通して見えた、開けっ放しのドアの外には紅蓮の世界が広がっていた。

木々が赤く燃え上がる。火がついて堕ちる葉はまるで銃に撃ち落された鳥のように地に落ちていく。

大地が紅に濡れていく。倒れている人々の間から流れてくる粘着質の水はまるで大地の下に眠っていた赤い泉が湧き出したようだった。

世界が朱に染められる。炎が全てを包んでしまう。親も、兄も、友も、幼いながらに好意を抱いていたあの子も。そして自分ですらも―――――

 

「あぁ・・・」

 

 炎の嵐が止み、追い立てられるように外に出た僕はなにもできずに空をただ見上げて歩いていた。ずっと見ていればそこにもう一度青空が戻ってくるような気がして、ただ見ている。

 でもそれは嘘だ。自分は前を向けないだけ。だって、前を向けば視えてしまう。この眼はそこにある□□を視てしまう。ソレは嫌だ。そんなことをしたらきっと僕は壊れてしまう。だって、ただでさえ、みんなの悲鳴で僕は壊れそうなんだから。

 

「ごめん・・・なさい・・・」

 

 それはきっとみんなへの謝罪。家を出るときに、親は僕を庇って落ちてきた柱の下敷きになり、兄はその親を助けるために戻って爆発に巻き込まれた。兄が最後に言った「逃げろ」という言葉だけを心の支えにすっかりと変わり果てた馴染みの街を進んで行く。周りにある炎に包まれた箱の中から聞こえる、聴いたことがある声だって全て振り切った。だって何もできない。僕にはその方向を見ることすらできない。

きっと、この赤い通りを抜けたらみんなが待っているなんて自分でもわかる下手な幻想を抱きながらただ歩いて、歩いて、歩き続けて、もう、駄目だった。子供の僕には、この街は広すぎる。紅い道の出口までは気の遠くなるような距離がある。

涙が頬を伝った。誰一人として助けられなかったという絶望、誰一人として助けなかったくせにもう動けない自分への怨嗟。そして、生への渇望が頬を濡らす。

 

「全く、埋葬機関の連中は融通が利かないから嫌いなのよ。」

 

 その声の主は急に僕の前に現れると端整な顔立ちを僅かに怒りに歪め、紅の瞳を細めながら漆黒の長髪をかき上げた。透けるような白い肌に漆黒のドレスを纏ったその女性に思わず見惚れる。炎の中に優雅に立つその姿は紅蓮の僕を連れた漆黒のお姫様だった。

 

「キミ、生きたいなら連れて行ってあげる。」

 

 声をあげることすらできずにただ呆然としている僕に、その人は憮然とそう言った。呆然とする僕に手を伸ばしながら全てが連中の思い通りになることが気にいらないだけよ、と呟いている。でもそれは、心からの言葉だった。生きたいという本能が手を突き動かし、その女性の手を取る。

 女性は短くよし、と呟くとそのまま高く、高く跳躍した。無理矢理引っ張られる形で僕は空を飛んでいる。

 

「キミはここで一度死んだ。だから、これからは私のために生きなさい。」

「うん。」

「いい返事ね。私はアルトルージュ。アルトルージュ・ブリュンスタッド。好きなように呼びなさい。」

 

 じゃあ、姉さん、と言った僕に彼女は心底可笑しそうに笑い出した。そして、後で私の姿をみてもう一度じっくりと呼び方を検討させてあげるとも言っていた。その言葉の真意はみえない。でも、これは多分なのだけど、どんな姿をしていても今の僕はこの人を姉さんと呼びそうな気がした。

 この後、1時間ほどこの空中散歩を(強制的に)楽しみ、僕は湖畔にひっそりと建つ大きな城の前に立たされた。

 

「ここが今日からキミの家。好きに使いなさい。同居人に関しては、そうね、危ないから入ったら直ぐ教えるわ。」

 

 えーと。と女性は城から僕へと視線を移し困ったように口を閉ざす。僕はその眼を呆然と見返して、そうだ、と頷いた。僕はまだ姉さんに自己紹介をしていなかった。

 

「僕の名前は―――」

 

 自分の声が霞んでいく。急に、その場の雰囲気が希薄になっていく。そこで、なんとなく理解した。これは夢。全てが終わり、全てが始まったあの日のユメ。つまるところ、今の自分、エン・キリヤの原初はじまりの記憶だった。

 

 

 

T その始まり 

 

 

 

 寝覚めは概ね良好だった。体は前日の疲れを引き摺っていないようだし、四肢もちゃんと動く。思考もまともに働くし、自分の名前も思い出せる。つまり万全。今日も今日とて俺は生きている。

 

「昨日のは・・・危なかった・・・」

 

 一人呟いて頭を振る。昨日何をしていたかというと簡単に言えば魔術の鍛錬だった。この城に連れてきた当初、姉さんは一人で生きるために力をつけろといった。そのための手段も方法も提供してやると。当時無力感に打ちひしがれていた俺には嬉しい申し出だった。でも二日で後悔した。姉さんが師として連れてきたのは同じ城に住む死徒二十七祖と呼ばれる死徒―――最も古い吸血鬼達、つまり吸血鬼の親玉みたいな連中だった。

 死徒二十七祖が6位 リィゾ=バール・シュトラウト。通称黒騎士。

 死徒二十七祖が8位 フィナ=ヴラド・スヴェルテン。通称白騎士。

 二人とも姉さんの護衛をしているらしく、お姫様みたいだといったら、笑いながら姉さんの通称は黒の姫君だと教えてくれた。この二人、普段はいい人なんだけど、こと戦闘になると人が変る。戦闘訓練もまた然り。殺されかけたこと幾星霜。もう数えるのも馬鹿らしいぐらい。おかげで体術ならば普通の人間は愚か一般的な吸血鬼にすら引けを取らないというお墨付き。そして問題は魔術のほうの先生だった。

 死徒二十七祖が4位 魔道元帥キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ。通称は・・・まぁいろいろあるのでそれはまたの機会にでも。

 この爺さん実は俺を殺す気なんじゃないかと思ったことは数知れず。というか魔術の鍛錬をしている間は1分に1回は思っていると思う。聴くところによると世界に5人しかいない魔法使いなんだとか。まぁ、そういうことに関して尊敬はしているわけだが、この人の鍛錬は死ぬほど辛い。弟子を何人も廃人にしたと目の前で豪快に笑われたときには本当に殺されるかとも思った。一応、師匠と呼んではいるが、師匠のほうはあんまり気にしている様子がなくつい爺さんなんていっても笑って流される。

 師匠の話によると元々魔術師の家系ではない俺は魔術回路とやらが人より少し多いぐらいだという。なので普通の魔術の才能はゼロに等しい。だから自分にあった属性の魔術だけを極めろとのことだった。俺の属性は楯という特殊な属性で、こと何かを守るということに関しては随一なんだとか。しかし、それすらもお前の本質の副産物でしかないというのが師匠の弁。昨日そのことについて詳しく聞いたところ、楯の本質を理解すれば自ずとわかると言われ、それを少しでも理解してみろと師匠は魔法まで持ち出して実戦訓練を行った。

 

「・・・姉さんが居なかったら死んでたな。」

 

 姉さんが途中で止めてくれて事なきを得たが、あのまま続けていたら確実に死んでいたと思う。そもそもの元凶が姉さんの気もするけど。そんなこと微塵でも思ったらきっと笑顔でプライミッツ・マーダー―――これも驚くことに死徒二十七祖なのだが、どうやら吸血鬼ではないらしい―――をけしかけてくるに違いない。

部屋を見渡せばそこは10年前に宛がわれた俺の部屋だった。魔道書に武術書など全国津々浦々の本が雑多に並べられている本棚と偶に勉強するのでそのための机。就寝するためのベッドが適当に配置され、それ以外は何着か服と無数の武器が入っているクローゼットが置いてある程度の殺風景な部屋。

しかし、もとから物に対する頓着があまりない人間なのでこの部屋は実に快適だった。それに、これでも増えたほうなのだ。油断すると姉さんが勝手に必要なのか不必要なのか判断に困る概念武装をプレゼントと称して置いて行くし、白と黒はいかなる武器でも扱えるようにしておけと世界各地の武器を置いていく。一時期は部屋が踏み場もなかったことすらある。今は物置に押し込んでいるが、あの物置もいつ飽和するのかわかったもんじゃない。

 

「む。そろそろ朝食の時間だ。」

 

 この城においての食事の時間というのは正直あまり意味がない。大半は人間ではないためだ。作れば食べるし、あれば食べるとは果たして誰の言葉だったか。つまり、俺は自分の分だけ朝食を作っても城に居る誰かに強奪される可能性があるので結局全員分作ることになるのだ。でもその料理の時間は余計なことを考えず趣味に没頭できる時間でもあるのでそこまで嫌いじゃないのだけど。

 

「おはようエン。相変わらず早いのね。」

 

 そう言ってキッチンに入ってきたのは年の頃14,5ぐらいの赤眼、黒髪の少女。長い髪はところどころ寝癖が立っていてその瞳もまだ完全には覚醒していないのかふらふらしている。格好も熊の絵柄がプリントされた随分と可愛らしい寝巻きを着ていて、それがまた良く似合っている・・・なんて面と向かってこんなこといったら多分二度と俺に朝はこない。

 

「姉さん。眠いならまだ寝ててもいいのに。」

「んー。らいじょぶ」

 

 ふわふわとキッチンから出て食堂に向かっていくその姿は正に年相応というか、見かけ相応だ。しかしあれで死徒二十七祖の9位であり、黒の姫君とすら呼ばれる実質死徒二十七祖の頂点にたつほどの実力者だというのだから世の中は信じられない。そして俺の命の恩人であり心の拠り所でもある偉大な姉だ。吸血鬼と呼ばれる姉さんたちは通常、昼は休息を取り夜に活動するのがセオリーだが、姉さんはそんなものをものともせず昼夜問わず活動している。白と黒曰く、それが姉さんなりの俺への気遣いなんだとか。有事の際でも昼に起こしたら殺す、なんていってた物騒な時代もあったと二人は涙ながらに語ってくれた。

 

「よし、会心の出来。」

 

 朝食を簡単に皿に盛り付けていく。俺への気遣いをしてくれている姉と、鍛えてくれてる師匠たちへのせめてもの恩返しとして今日も丹精こめて食事を作る。料理の一番の隠し味は愛情だと、なんかの本を書いた偉い人は言ってた・・・気もする。つまり料理は篭める愛情があれば美味しくいただけるはずなのである。というのはいつまでたってもまともな料理が作れない自分への言い訳ですが。どうも不器用で巧くできないのだ。それでも作り始めた当初に比べれば相当巧くなった自信はあるけれど、味の批評をする師匠たちは味音痴というか、まぁあんまり当てにならないのである。

 ・・・とりあえず自分のいつまでたっても上達しない腕の悪さに絶望していないで、さっさと待ちかねてるであろう姉さんたちのところに不出来な料理を今日も持っていくことにした。

 

 

 

「近いうちに日本の冬木という土地である儀式がある。」

 

 今日も今日とて不出来な料理をみんなで適当な談笑をしながら取っていると、師匠はいきなりそんなことを告げた。

 

「儀式がどうかしたんですか?」

「うむ。その儀式の内容は追々説明をするが―――」

 

 ニヤリ、と老骨が笑った。正直これはあまりいい傾向ではない。師匠があからさまに笑うときは決まって悪いことがおきるのだから

 

「―――お前にはその儀式に参加してもらう。」

 

 思わず言葉を忘れた。白と黒は実力を試すのにいい機会だとか言っているし、姉さんはそれは名案、なんて顔をしている。

 

「正確な日時はわからんが、ここ1,2年で起こるだろう。腕利きの魔術師どもも集まるからな。勝ち残れとは言わんが、生き残れ。」

「な・・・」

「実は餞別は既に用意してある。」

「ちょっ」

「向こうではお前は学生として生活をしてもらうことになる。」

「エン、やるからにはわかっているのでしょう?」

「そうだな。そろそろ外を見るにもいい機会だ。」

「荷造りは直ぐしろ。住居は既に確保してある。」

 

 みなさん随分と手回しがいいですね。どうやら姉さん以外は極秘裏にことを進めていたようで、準備が整ったのでさっさと言って来いというのだろう。

 姉さんが反対すればきっと却下になるだろうけど、その姉さんもまんざらではない様子。ニッコリと笑って

 

「邪魔者は蹴散らしてきなさい。逃げ帰ってくるなんて言うのは許さないわ。」

 

 なんて、とても素敵な激励をくれた。もう慣れてきたが、俺に決定権なんて言うものは存在しないんだよね。

 

 次の日、朝早くから慣れ親しんだ黒の姫君の居城から発ち、日本へと旅立った。聖杯戦争とやらに参加するために。

   NEXT


   目次へ