「―――――っ」

シャロンの声に反射的に身を捻りながら跳ぶ。無理な行動に体が軋み、悲鳴を上げるがそれを押し殺した。俺は、一番失念してはいけないことを失念していた。 ―――あれは投擲した剣を、任意の空間で爆散させることができる――― 瞬間、空間が、弾けた。

「ガ・・・グ・・・」

今ので、右手が完全に持っていかれた。灼けるような痛みに耐えながら、さらにもう一回大きく跳び、距離をとる。それがどんなに無様であっても、生き残るために体面を気にしてる場合ではない。

「本当に、あなたはしぶといですね。敬意を表して、私の自慢の一振りでとどめを指してあげます。」

相手が、まだ体制を立て直せていない俺に向けて、巨大な剣を向けた。鉛色の刀身を持った巨大な剣。

「この剣は12年前、ちょうどこの街で振るって大惨事を招いたものでしてね。手なずけるのに苦労したんですよ。」

「な・・・ん・・・だと・・・?」

12年前にこの街でおこった大惨事といえば、それはあの事故に他ならない。しかし、あの事故は、交通事故だと・・・

――― あなたはいつから、そんなくだらない言い訳を信じるようになったのですか ―――

「元はと言えば巨大な狼でしてね。真名をフェンリルと言うんですが。こいつはなかなか手ごわくてですね。真名を知られているのに私に抵抗したんですよ。それで、手なずけるのに、少し大掛かりな捕り物になってしまいまして。」

不本意だったんですがね。とそいつは笑った。本当に楽しそうに笑っていた。

その狂った笑顔を、俺はかつて見たことが無かったか。

――― ガレキのウエでホントウにタノしそうにワラっていたのはダレだったのですか ―――

瞬間、左目が、燃えた。アレを殺し尽くせと、左目が咆哮をあげている―――

「これでおしまいです!」

「ご主人様っ!!」

いつのまに、狐の姿に戻ったのか、シャロンが俺ごと相手と距離をとり、相手に対して威嚇をしている。

「本当に・・・あまりしぶといと、楽に死ねませんよ?」

相手がワラう。あの日に見た笑顔で、あの日とまったく同じ顔で、酷く面白そうにワラう。

「笑うな―――」

―――あぁ、わかっているさ。そんなに訴えなくても、アレを許してはならない

「ご主人様!私を!!」

シャロンの声に導かれるように、手がシャロンの体に触れた。

瞬間、シャロンの思考と自分の思考が混ざる。自分の力の使い方と、シャロンの力の使い方を、理論ではなく直感として理解する―――

「いい加減に死になさい!小僧っ!!」

左目が、相手を捉え、相手の力を捉えた。それは漠然たる死の力。あの日、あの場所で、俺の全てを奪った力

「赦されると・・・思うな」

自分の声が、酷く冷たいものに感じた。

 

 

――― こっちだ娘 ―――

「あぁ、もう。待ってよ」

屋根の上をぴょんぴょん跳ねていく黒猫を見上げながら追いかける。正直、一緒に地面を走ってくれないのはどうかと思う。

「はーくじょーうものー」

うめきながら走る。どうも、運動不足がたたっているらしく、結構辛い。

――― この先の空き地だ。血の匂いがするな・・・速くしなければ間に合わないぞ? ―――

本当に勝手なことばかり言ってくれる。最初から目的地を言ってくれれば、近道だってあったかもしれないのに。

まぁ、知らないけどさ。

そして無言で走り続けること数分、私は目的地に着き

「な・・・」

いろんな意味で凄惨な光景を目にした。

体中に剣をぶら下げてる変態に、兄さんが追い詰められている。それは、思い描いていた光景と、若干違うが、どうやら兄さんのピンチだということは代わらない。

それに頭にきた。だって、兄さんの右腕は、完全に、無くなっていたのだから。

――― 娘。選べるのは一度きりだ。俺の体を基盤として武器を夢想しろ ―――

だから、急ぐことにした。どうすればいいのかということは、体が理解している。

だから夢想する、私に扱える武器など一つしかない。一回でも習ったことがあり、自分で多少なりとも自身がある武器。

「―――弓」

既に武芸の域にまで達してしまった弓道と、実戦で用いられる弓は、違うだろうけど、その差異は恐らくこの黒猫が埋めてくれる。

気づけば手には弓が握られていた。それが黒猫であったものだということぐらい私にもわかる。それが、恐らく黒猫のもつ力なのだろう。

――― へまをするなよ? ―――

本当に失礼する。これでも私は、弓道に関しては的を外したことなんて無いのだから―――

「それ以上・・・」

矢を持たずにただ弦を引く。

「兄さんに―――」

矢は必要ない。だって、矢は私が作り上げるのだから

「触るな変態っ!!」

放たれた矢は正に光速。正確無比に、的を射抜いた

 

 

「触るな変態っ!!」

藍の凛とした声が辺りに響き渡る。そして次の瞬間には、相手が自慢していた剣―――フェンリルといったか―――が、視界外から飛んできた、形の無いなにかに打ち抜かれた。

「なにっ」

そして、はじめて、相手が、決定的な、隙を、見せた。

「シャロンっ!」

イメージを加速させ、そのイメージをシャロンの中を通す。それがこの力の使い方。シャロンは、いや、シャロン達は、イメージを加速させる媒体であり、そのイメージを具現化する基盤なのだ。

「はっ!」

具現化させたのは、左手に装着した水を纏うグローブ。

そのグローブで相手が体中にぶら下げている剣の一つをつかむ。

相手は、自分の目を、相手の真名を握り、契約をして、色が変わったといった。

それはつまり、相手の武器さえ無くしてしまえば、ただの変態に成り下がるということではないか―――

「なに、を」

相手が狼狽する声が聞こえた。俺の意図を理解できないのだろう。しかしそれを無視して、

 

――― イメージは聖水。体に染み渡るそれは、あらゆる呪縛を解き放つ ―――

 

二つ目のイメージを展開した。水を纏うグローブは、そのものがイメージの加速装置として機能する。故に、イメージに要する時間は普段の数十分の一だった。

その剣にかけられている呪縛は、真名の呪縛。真名を知られていることで、相手に逆らうことができないという呪縛。今、その呪縛を解き放つ―――

剣が光に包まれ、一匹の狐に姿を戻す。

それを視界の隅で認め、

 

――― イメージは決壊するダム。巨大なダムに穿たれた一つの虚は、やがてそのダムそのものを崩す ―――

 

最後のイメージを展開する。

「な・・・」

男が体中にぶら下げた剣が、全て元の動物の形に戻っていく。

「餓鬼がっ」

相手が、拳を振り上げた。

しかし、その手は振り下ろされる前に、巨大な狼に、喰い千切られていた。

 

 

惨劇は一瞬だった。そのあまりに巨大すぎる狼―――フェンリルといったか―――にとって、人間を捕食するのに、数秒を要さなかった。

「は・・・」

馬鹿げている。12年前の惨劇ですら、この巨大な獣の前では納得するしかないではないか。

――― すまなかったな人間。12年前のことは、抵抗をしていたとはいえ、取り返しのつかないことをしてしまった ―――

そして、フェンリルは俺を見下ろし、その巨大な体躯からは想像できないほど穏やかな声で、語りかけてきた。

――― 故に、私の全てを持って贖おう。この身は一度滅びたものだ。 ―――

「ちょっ・・・まっ・・・」

待て、というより先、フェンリルが右手にまとわりつき、やがて体の一部となった。有無を言わさず、ということはこのことだろう。

12年前といい、今回といい、どうやら不測の事態というのは本当に思い通りにならないらしい。

「兄さんっ」

藍の声が聴こえた。正直、もうたっていられる自信は無い。まぁ、藍がいるなら、ここで寝ても問題は無いだろう。

「ご主人様?」

どうやら、シャロンも人の形に戻ったらしい。かすんだ視界に、シャロンの顔が見えて、大量の動物に囲まれて幸せそうに微笑む藍が見えて、そして、意識が、断絶した。

 

 

「―――ん?」

目が覚めて、最初にみたのは人の上にのってご機嫌そうに耳を動かすシャロンの背中だった。重さは大してないから可愛いものだが、こんなんでは起き上がれないではないか。

「・・・で・・・なにやってるんだシャロン?」

たまらずそううめくと、シャロンは両手に肉まんをもち美味しそうに頬張っていた。それで、口を動かそうとするのが気配でわかったので、無理に答えなくていいよ、と声をかけた。

どうやらここは自分の家らしい。寝てるのはソファーだが、たぶん藍が頑張って運んできてくれたのだろう。流石に俺を抱えて階段を上るのは無理だったということか。

「あ、兄さん目が覚めたんですか?」

俺の声に気づいたのか、運んでくるの大変だったんですよ、と、愚痴をこぼしながら藍が台所から出てきた。そのとなりには、またみたことの無いものがいた。

「む?藍の兄は人を無言で見るような失礼な奴なのか?」

まぁ、藍と一緒にいたのだから、藍の知り合いだとは思う。背丈はシャロンと同じぐらい、黒紫色の両目に、漆黒の短髪の少女だ。

「・・・えーと」

とりあえずシャロンを立たせてから、もう一度その少女をよく見る。藍の友達については結構知っているつもりだが、その子はまったく知らない子だった。

「あー・・・」

酷く気にかかるのは、それはシャロンと同じ存在だと直感できていること。

「んふふー。シャロンちゃんは兄さんのほうを慕っているみたいなので、私も自分のペットをひろってきましたっ」

えっへん、と藍が胸を張った。人に化ける狐がいて、人の右手になっちゃった狼がいる。きっと、それはそういった意味で、シャロンと同種なのだ。

「コトっていうんですよっ」

猫なんです。とその少女を抱えて頬擦りしてみせる妹。

「あぁ―――」

思わず天井を仰いだ。

とりあえず確かなことは、家がにぎやかになったということと、これからの家計のやりくりが大変になったということだった。

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