――― イメージは鎌鼬(カマイタチ)、それは万物を音も無く、光も無く切り裂く ―――
急に右手に力が入らなくなり、思わず藍を落としそうになる。垂れ下がった右手はパックリと骨ごと斬られていた。
「う・・・そ・・・」
何をやった?相手は、一体、今何をした・・・。
ズキリ・・・と左眼が何かに共鳴するように痛んだ。
なぜか、もう二度と動かないだろう右手の傷より左眼の方が痛かった。
しっかりと、藍を抱えなおす。何故だか解らない。あの人は俺を、俺達を殺す気のようだった。
逃げなきゃ・・・殺される・・・。
「なんだ?まだ力を使うことすらできないのか??わざわざ殺しに来るほどではなかったな。でも、せっかくだから・・・死ね。」
――― イメージは竜巻、それは全てを巻き上げ地面に叩きつける ―――
体が浮いて、空が見えた。
・・・もう駄目だ。
相手がどうやってこの現象を起こしているか全く解らない。識らないということは思っている以上に脅威なのだ。
止まりかける思考の中でせめて、藍だけでもと思い、自分よりも一回り小さい藍を再度しっかりと抱く。
兄さんのイメージは水だと思うの。そんな藍の声が聞こえた。ほんの数分前までの日常。まさかそんな日常がなくなるなんて考えても無かった。
「水・・・か。雨は落ちるときこんな感じかな。」
自分でも何を考えているかわからなかった。頭の中をわけのわからない単語が飛び交い、ただの文章を形成していく。
「イメージは・・・」
――― イメージは穏やかな海、それは侵入するものを受けとめ優しく包み込む ―――
ザアァァァァァン。気づけば俺と藍が落ちた地面を中心に6メートルぐらい水に変わり、落下の衝撃をほとんど殺していた。
「え?」
「ちっ・・・・・・」
俺が間抜けな声を上げたとき、相手が舌打ちをした。その間に水だった地面が段々と元に戻っていく。
少し気になったので地面を叩いてみる。
うん。やっぱり普通の地面だ。
「まさか、ここで目覚めるとはな・・・。」
相手が再度舌打ちした。しかしそんなことを気にしている暇は無かった。うごかない右手を放っておいて、藍を地面におく。どうやら動かしたのが悪かったらしく、顔色が明らかに悪くなっていた。
「なんとか・・・しなきゃ・・・。」
「余所見をしている暇があるのか!!」
――― イメージは鎌鼬、それは万物を音も無く、光も無く、斬り裂く ―――
「うるさい!!」
相手の声に反射的に体が動いた。藍を抱えて真横に飛び退る。今まで自分達がいた場所が真っ二つになる。それを気にせずに相手を、睨み付けた。
また、単語が、文を形成していく。
――― イメージは鉄砲水、激しく流れ行くそれは、万物を押し流す ―――
どこからともなく大量の水滴が出現し、束になって青年を屋上の反対側のフェンスまで吹き飛ばした。
「ガ・・・は」
背中からフェンスに直撃した青年はしばらく立ち上がってくることは無いだろう。その間に藍へと振り返り、髪を優しく撫でる。
「藍!!大丈夫か?死ぬな。頼むから・・・死なないでくれ・・・。」
藍の体に手をかける。返事は無く弱々しい呼吸しか聞こえて来ない。虫の息とはこのことなのだろう。もういつ死んでもおかしくないような気がした。
死なせるわけにはいかなかった。お義父さんから頼まれた、大切な命・・・。失うわけにはいかない。
「死なせない・・・。」
その時、日に照らされる屋上のタイルに、自分の朱色の目が映った。
・・・いつの間にコンタクトが落ちていたのだろうか。
「なんとかしなきゃ・・・」
もう救急車は間に合わない。俺がなんとかしなきゃならない。ズキリ、と左眼の瞳が痛んだ
今度ははっきりと、意識的に文は構成された
――― イメージは聖水、清らかなる水はあらゆるものの傷や、病を癒す ―――
水が、藍を包み込んだ。その水に包まれて、藍の顔色がよくなっていく。
「よかっ・・・た。」
その水は俺の右腕にもまきついてきた。どうやらこの水はどんな物でも治すことができるらしい。くっついていく手を見ながら少し驚いた。その間に、藍の治療は終わったらしい。
水が空気中に散り、藍が地面に横たわる。そこにはさっきまでの危うさは無く、呼吸も規則正しいものにと変わっていた。
「本当に・・・よかった・・・。」
傷の癒えた藍をしっかりと抱きしめた。無意識のうちに涙が頬を伝っていた。
・・・すぐ終わらすからね。
小さくそう呟いて藍を地面にそっと横たわらすと、吹き飛ばされた青年のほうを向いた。
「ふざ・・・けるな・・・。」
悶えていた青年は、つばを吐いてから立ち上がる。緑色の瞳が輝きを増していた。
「素人がなめくさりやがって!!」
――― イメージは暴風、荒れ狂うそれは四方八方より吹き荒び、物質を切り刻む ―――
――― イメージは滝、高き場所から降り注ぐそれは、あらゆるものを巻き込み落ちて行く ―――
その行動はほぼ反射だった。ただ理解はできていた。自分のとった行動は本能による防御行動。『力』の発動によって攻撃に鋭敏になった本能が、回避行動をとったのだ。
「これが・・・この眼の力・・・」
自分の周辺に出現した滝を呆然と眺めながら、そんな言葉が口から出てきた。イメージを具現化し、攻撃及び防御を行う特殊な『瞳』。
「今だけでいい・・・力を・・・貸してくれ・・・。」
左眼に手を当て、呟く。確信は無かった。ただ、アレを、あの青年を倒さなければ日常は戻ってこないような気がした。
・・・いや、それは言い訳か。
「お前は藍を傷つけたんだ・・・。それ相応の罰は受けてもらうぞ?」
滝の水がはじけ、自分と相手をつなぐ道ができる。
青年は見るからにイライラしていた。朱色の眼が教えてくれる。アイツは大した使い手ではない。
「馬鹿な・・・。俺は傭兵だって殺せた。小さい頃からこの眼だけで生きてきた。お前とはキャリアが違うんだよ!!」
――― イメージは台風、巨大なるそれは突風、暴風を引き起こし、全てのものを薙ぎ払う ―――
青年を中心に風が吹き荒れた。圧縮された空気の塊が視認できるほどに。
「だからお前は死ね!!」
さっきのものよりも速く、回避行動が間に合わない。なら、
「避けなきゃいい・・・。」
相手にだけ、意識を集中する。大体、カラクリは理解できた。要はイメージの強さと想いが力に反映され、それと何かの属性に関するイメージが重なると力が発現している。守りたいという想いで、俺は藍の傷を癒し、滝の壁を作った。邪魔だという想いで相手を吹き飛ばした。それに、『水』に関連した何かのイメージが重なり、力が発動する。ただやはり修練は必要なようで、イメージを具現化するには少し時間がかかるようだ。その上眼によって属性は変わるみたいだった。
「こう見えて、結構想像力は豊かでね。」
体の各パーツを風が切り裂いていく。足の肉が削がれ、膝を着きそうになる。頬の肉も深く削られたようだ。自分の血が、風に乗り、空中にへと霧散していった。それほどの傷を負いながら何故、俺はまだ立てているのだろうか。
そして、イメージはまとまった。
「いける・・・。」
――― イメージは雨、時に優しく、時に激しく降り注ぐそれは、鋼の弾丸にもなる ―――
水が、弾ける。どこから現れたか解りもしないその大量の水は、小さな水滴となって、降り注いだ。
「は?雨ごときで俺を倒せると想っているのか?もういいよ。さっさと・・・死ね!!」
でも、俺はそんなことを言われなくてもほとんど死んでいるようなものだった。その雨を発動させた後、視界が傾き、地面に倒れこんでしまった。
「ハハ・・・もうたてねぇや・・・。」
空気の塊が、さっきまで自分の居た位置を通過していく。そして、雨が、変わった。水は超高速、超高圧で打ち出されると、鉄板にすら穴を穿つ。その鋼の弾丸が人体を穿つことなど容易なことだった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
倒れている俺には何かが飛び散る音と青年の悲鳴だけが聞こえた。しかし、そんなことはもうどうでも良かった。
自分がもう起き上がれないことと、助からないことは確かなのだから・・・。
――― イメージは大気、それは全てを優しく包み込み、その温かさで全ての傷を癒す ―――
目が覚めるとそこには藍の顔があった。藍も寝ているらしく、目は閉じていた。場所は俺が最期に記憶している場所―――屋上。時間は二、三時間経っているだろうか。弱冠太陽の位置が変わっているようだ。
「夢・・・?」
俺は自分の各部位に触れてみる。削がれていたはずの肉は元に戻っている。そこには痕すらない。
そこで、今度は顔を横に向けた。そして、その床に、赤い、アカイ染みを見つけた。元、人であったもののなれの果て。鋼の雨に貫かれた人間の末路。
「なんで――――」
俺は生きているのか。他人事のようだが、明らかにあの出血量は致死量だ。
「兄さん?起きたんですか?ならどいてほしいのですけど。」
「え?」
そこにきて、はじめて俺は藍に膝枕をしてもらっていることに気がついた。なるほど、だから藍の顔が目の前にあったのか。
ゆっくりと体を起こす。痛みは無い、後遺症も無いようだ。
「一時はどうなるかと思いました。」
ふと、藍が口を開いた。
「兄さんが血まみれで倒れていて、私どうしたらいいか、わかんなくて、もう無我夢中で・・・。」
藍の頬を涙が伝う。
その涙が、さっき自分が流した涙と同じだということに気がついて少しこそばゆかった。
「それで、あたふたしているうちに、今度は兄さんの傷なんてなくなってて・・・。全然何が起こったかわかんなくて・・・。」
「そか・・・悪かったな・・・。」
俺が頭を撫でてやると、藍ははにかみながら泣いていた。
「今日の学祭は・・・もう時間が無いな。だから・・・明日は2人でいろんな所回ろうな。」
「うん・・・うん・・・。」
嬉しそうに頷いた。そんな藍の右目が一瞬黒紫色に輝いた気がした。